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陸大主席は(梅津美治郎以外)意外に地味なのだが、枢密院議長は主席が多いな。
枢密院 (日本) - Wikipedia
16.一木喜徳郎
帝国大学法科大学政治学科卒業席次1番
官報. 1887年07月11日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
17.平沼騏一郎
帝国大学法科大学法律学科英吉利部卒業席次1番
官報. 1888年07月11日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
18.近衛文麿
京都帝国大学法科大学政治学科卒業席次1番
官報. 1917年07月19日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
19.原嘉道
帝国大学法科大学法律学科第一部卒業席次1番
官報. 1890年07月11日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
20.鈴木貫太郎
海軍兵学校第14期卒業
海軍大学校将校科3期卒業
海軍大学校将校科甲種1期卒業
官報. 1887年07月28日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
21.平沼騏一郎(1番)
22.鈴木貫太郎(軍人)
23.清水澄
東京帝国大学法科大学法律学科仏蘭西法撰󠄀修卒業席次1番
官報. 1894年07月11日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
ちなみに、副議長
12.荒井賢太郎
帝国大学法科大学法律学科参考科第二部卒業席次3番
官報. 1892年07月12日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
(1番は若槻禮次郎)
16.潮恵之輔
東京帝国大学法科大学法律学科仏蘭西法兼修卒業席次2番
官報. 1907年07月13日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
(1番は村上恭一)
なんか容赦ねえな。2番でも3番でもええやないか。
ご進講経験者縛りなんかね。
ということは、1番で卒業する者には、「将来の枢密院議長」の因果を含めとかなアカンいうこっちゃ(複数の学科があるけれど、誰がなるかわからないから、一応皆にその程度の覚悟をしておいてもらわんと)。
鈴木貫太郎は、大将経験者というより、侍従長経験者だからかな?
『1929年(昭和4年)に昭和天皇と皇太后・節子(貞明皇后)の希望で、予備役となり侍従長に就任した。』(wikipedia鈴木貫太郎)