ミシェル・ド・モンテーニュ 1533 - 1592
ジョン・ロック 1632 - 1704
ローレンス・スターン 1713- 1768
エドゥアール・デュジャルダン 1861-1949
ヴァレリー・ラルボー 1881- 1957
絵を描くときにすごい気にしているのが、物の重み。髪の毛の重みも、ふわっとした子はふわっとしているとか。着物も、浴衣の重みと冬着る着物の重みが違うとか。(東村)
上手い人は本当にいっぱいいて、描かれた絵を見るとほれぼれするんだけれど、量感で描く人ってそんなにいるのかな?あんまり漫画は読まないから知らないだけか。
ビクトリアス・ポターに関しては「学会」があって、『ルイスキャロルを除けば、』だそうで、素人の目から見て「これいいな」と思ったのは、『箱庭療法』への言及があったことだけれど、やっぱり普通のヒト目線で見ちゃうというか、目的から解釈するんだよね。むしろ「枠線」が大事で、それはティムバートンと同じじゃないかな。
色彩については、当時の木版画の技術の進歩があったみたいで、かつ、版元のセンスもあったみたいで、どこまでが彼女自身の色彩感覚かよくわからない。
【挿絵】
①パース・構図
②量感
③色彩
④タッチ・疎密・強弱・描線
⑤構成・物語性
⑥参照・系統・文化
美術論なんかやったことがないから、よくわからない。
【本文】
①参照・系統・文化
②ロジック
③パロール
④アティテュード
に着目して読みたいという希望は持っております。特に、「自由間接話法」から「意識の流れ」に至る duration に居て。
しかし、実はジョン・ロックの「観念連合」(連想作用)の理論を取り入れた緻密な配慮の下に語りが展開されており、登場人物の思考を無秩序で絶え間ない流れとして描く「意識の流れ」の手法を先取りしているとされる。そのため、後のマルセル・プルースト、 ジェイムズ・ジョイス、ヴァージニア・ウルフ、アンドレ・ジッド、オルダス・ハックスレーなどの、時間を意識した新心理主義文学の先駆的作品として評価は高い。
トリストラム・シャンディ - Wikipedia
ただし、そうした見かけの「現代性」は本作によって突然変異的に発生したわけではなく、むしろエラスムスの『痴愚神礼讃』、ラブレーの『ガルガンチュア物語』、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、スウィフトの『桶物語』といった過去の滑稽文学・諷刺文学の伝統に根ざした特徴である。作者と読者との交流、メタフィクション的な語り、アスタリスクやダッシュを多用するタイポグラフィ上の実験といったものも、実はサミュエル・リチャードソンやヘンリー・フィールディングといった18世紀イギリスの先輩作家、そして『イーフレイム・トリストラム・ベイツ氏の生涯と回想』(1756年)といった同時代の小説の影響を色濃く受けている。
同上
👇夏目漱石が日本へ紹介したらしい。
観念の記憶として言語があり、ロックは言語を観念の典型的または抽象的な形態として使用させる手段として把握する。知識は観念よりもさらに限定的なものであり、観念と一致または不一致の知覚である。
人間知性論 - Wikipedia
👇フランス文学研究の泰斗鹿島茂さんによるご紹介
エドゥアール・デュジャルダン(1861-1949)はフランスの作家。ロワール=エ=シェール県の裕福な家庭に一人息子として生まれる。両親の死後に相続した遺産は、彼にパリで女優たちと浮名を流す「ダンディ」としての生活を可能にしたほか、いくつかの戯曲を上演する資金ともなった。
エドゥアール・デュジャルダン Edouard Dujardin - NOEMA Images Archives
そう、ダンディとはそういう意味か。
この特色に関しては、大浦康介氏がより的確に説明している。
「『月桂樹は刈られた』では、すべてが語り手の視点を通して知らされる。しかもそこでは、物語の展開の各時点において、その一瞬先に起こるはずのことを語り手自身が知らないという設定になっている。読者はしたがつて、語り手の表明する期待や不安を、いわば彼と同地点で共有することになる。」
ヴァレリー・ラルボーの作品における内的独白 : 自己確立のテーマとの関係から
瓜生 濃世
年報・フランス研究33号PP29-41(1999-12-25)
関西学院大学
file:///C:/Users/Owner/Downloads/033-03.pdf
「内的独自は、小説のなかに詩情が稲妻のごとくはいり込んだことの現れのひとつとして評価できる」
同上
「内的独自は、詩の秩序のもとにある、聞き手のいない、言葉として発せられない語りであり、それによって登場人物が、自己の最も内奥の、無意識に最も近い思考を、《生まれてくる海象を与えるために文としての最小単位に還元された直接語句を使い、あらゆる論理的組み立てに先立って、すなわちありのままに表現するものである。」
同上
内的独自と無関係だとは思われない自由間接話法
同上
一方で、ラルボーは内的独自の形式的源泉 としてモンテーニユの作品、そして演劇的独自などを挙げ、それらはあくまでも「声に出される」言葉が基本となることから「内的」独自とは性質が異なる事を説明し、次に『月桂樹は切られて』に至るまでの散文作品の形式として、書簡体小説、そして日記体小説を挙げ、「『日記体小説』から一歩先に進んだところに『内的独自』は出現した」
同上
👇フランスモラリスト文学の礎
我々が動物よりも優れていると考える相応の理由はない。
エセー - Wikipedia
モンテーニュは読者の興味をそそり、巻き込むように意図された巧妙なレトリックを用いて書いており、ある時には話題から話題へと意識の流れに沿って動くように見え、またある時には作品のより教育的な性質を強調する構造的な文体を用いてもい
同上
20世紀ドイツ出身の文献学者のアウエルバッハは、著書『ミメーシス』で、『エセー』が初めて人間の生活、自分の生活を近代的な意味で問題にした本であるとした
ミシェル・ド・モンテーニュ - Wikipedia