ただ単に損するのではないと言わずに居られないときにある、そこにある不公平感

 


加害者はいままでは「加害者に成れなかっただけかもしれない」という裏の問題も社会にはあるかもしれない。

これは公平感への希求に関する錯誤に似ていると思う。

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 ある算数の問題がある。

問題7 公平に分けて

兄と妹でみかんを分けています。
「お兄ちゃんたらずるい。わたしの倍も取って」
「倍じゃないよ。もうひとつ取らなければ倍にはならないよ。しょがないな、ひとつやるよ。そうすれば同じだから」

最初、兄と妹はそれぞれ幾つずつ取ったのでしょう。

 

数学能力検定講座1基礎編10級・9級
総合教育センターがくぶん

これは、「1つ」分の損が「2つ」分の差を埋めることが考えるポイントとなっている。「1つ」しか差がない場合、次にどう譲っても公平は達成できない。
これがなかなか思いつかないのは「1つ」損することによってあたかも「2つ」損したような気分、、、、、、、になるときの、或る飛躍した感慨に対する違和感の排除からです。違和感を排除しようとするときに、適切な言葉を失っている。
そして、我々が言葉を獲得するのは、或る経験をした「事後」になってはじめて、さも最初からそうであったかのように錯覚してからではないかと思う。
ある種の再帰的な獲得の仕方です。これによって私が言いたいのは、言葉も経験を重ねるということだ。
上の記事を読んだときに、最初にこれを思い出したのは、

「下駄」を奪われたと感じる若い韓国の男性たちにとって、女性の権利向上は新たな競争相手として脅威に感じるのだろう。


韓国で今「フェミ狩り」が止まらなくなっている…金メダリストを炎上させた人々の“正体”,金 香清,2021.8.7

 を前段に置いたうえで

本当の「公正な競争」は何なのか。


(同上)

と問うているからだった。「公正(正義)」に関する問題であり、「競争(経済的利益)」に関する問題ですが、「動機」から説明されている。
近代国家にはそうであるがゆえに、回復動機(正当であるか)と動員契機(正統であるか)に係る問題を胚胎していると思っている。
また民主主義はすぐれて近代国家的な表現を持つと思っている。
したがって近代国家を成立させる2動機は、民主主義にそのまま引き継がれる問題だと思う。
社会統合の問題と言い換えることができ、今も、様々な面で見ることができる。

 

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