ものすごくわかりやすく言うと、旭川学テ事件で名裁判の言うところでは。
その子の腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい。勝った方を母親と認めよう。
勝った方〈が〉母親である
との信念である。
であるからいつもの通り
勝った方〈が〉母親であるとき、その母親〈は〉より愛情深い
つまり〈可能〉を言明する信念に関するルール2である。
ならば〈必然〉を言明する信念に関するするルール1は
母親〈は〉もっとも愛情が深い
つまり、ルール2を信じたときに限り「偽」になる。
勝ちを競うことを信じるときにその現前にある認識のフォーマット自体が(ルール1で宣言する)母親の持つ唯一性への信念を毀損するからだ(すなわち、ルール1とルール2の認識のフォーマットが排他的な別様なのである。お風呂に入ろうと思って、隣の便座に座るようなハナシだ。どちらも満足を得るが、達成されることが反対である)。
児童福祉に適った方〈が〉責務者であるとき、
その債務者の決定〈は〉より児童の利益を増進する
これをルール2とするとき、ルール1は何か、という問いである。
これは必ずしも科学ではない。
この眼医者さんが迷ったように。
科学でないこともない。合理的判断であるからにして。
ただ、科学は、価値の僕である。
しかし、科学を価値の僕にするのは、危険である。
だから、人権と権力に照らして、リスクとデインジャーを分けて負担するのだ。
その機序(機構)がここで求められている。
なに、別に、参照させていただいた眼科医さんを腐したいわけではない。
野矢からして誤っている事実が重要で、「論理的」であることの、基本的な誤解が一般的なのだろうと思う。
これが深刻なのは、どうにも明言しないが、英米などは必ずしもそうではないからである。つまり、このことは、言語運用にかんする根深い文化が関係して、イギリス人、アメリカ人にとっては「言わずもがな」であるところ、日本人は得てして見逃すらしい。
野矢 茂樹は、1954年(昭和29年)9月15日生まれで、 生まれた年に新設された東京学芸大学附属高等学校を卒業している。
- 戦後の新設校である
- 「青田買い」が注目された
のが興味深い点で、戦前からの名門校である灘高等学校が戦後になって進学校として目覚ましい躍進を遂げたのは、戦後の学区制を利用して優秀な生徒を集めたからであるとも言われているが、国立と私立の違いがあるとはいえ、東京学芸大学附属高等学校もまた、入試日程の変更により公立の「名門」進学校の定員割れに影響を与えたように、制度のなにがしらがあったようだ。
それはよいとして、まったくの新設校であるため、迷うことなく、「戦後教育」を実践できたであろうことだ。
「戦後教育」と言えば、人間観から成る主体を前提とした政治的態度の差異を含意するが、それに随伴して、論理への態度を決める言語観にも差異があったようだ。野矢は分析哲学者であるが、彼の自己認識として、心理学的論理学とどのような距離を保っているのだろう。『連想』という語が(心理学的論理学の述語であるはずの)〈判断〉により近いとの印象から察せられるのである(実証的論理学なら述語は〈評価〉となるはずであるのは、それを発展させたフレーゲの語用からして明らかである)。