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上で最期に行った私の質問は、

ホッブスの理論は仮想的ではなく、キリスト教の世界観に基づいたヘレニズム文明の歴史考察による事実評価で、したがって事実を拾い上げて説明される歴史的転回をキリスト教の普遍性から倫理的側面から求めています。 ルソーは仮想であると明言していますが、ホッブスは仮想ではなく事実に依存しています。しかし、そこに普遍性の評価を与えました。ルネサンスはヘレニズムとヘブライズムとゲルマニズムの調和と融合を目指して居ました。ホッブスはその影響を受けて倫理的義務から社会構成を論じ、直近の政治状況を説明しようとしました。

ホッブスの『リヴァイアサン』は仮説的ではなく、方法論的でまた、キケロ―やセネカが完成したレトリックなのです。これはキリスト教の被造物の関するロジックに従っています。

繰り返します。貴方の説明は詭弁です。ホッブスは、具体的な証拠や現実に基づいて『リヴァイアサン』を書いています。それはギリシャの戦国時代です。仮説ではありません。歴史的事実も分析に値する事実です。直近の事実に限りません。17世紀の事実を分析するために、ギリシャを参照し共通する観照を発見しました。それを貴方の定義による「仮説」とは言えません

だった。これをChatGTPに英訳してもらったうえでChatGTPに質問をぶつけてみた。
会話の流れで説明を加えてくるので、英訳と質問は、独立のスレッドで行った。

 

どうもChatGTPの説明は強固な偏見に基づいており、それが一般的な理解を伺わせていかがなのかと思う次第である。
要は、ホッブスとルソーは、思った以上に、ギリシャ哲学に忠実に依っている。
特にルソーはファンタジーだ。『指輪物語』のような話である。そう童話なのだ。
ルソーは、彼の考案した記譜法—現代ではさしづめタブ譜—と同じように、単純化することに抜群の才能を発揮して、あたかも現実を説明できるような童話を書いたのだ。
ホッブスは歴史を書き、ルソーは童話を書いた。これが、ホッブスに関しては「法則」を、ルソーに関しては「原理」を一般的に想像させたのだ。
「読みもの」として楽しく読めるのは、もちろん、童話である。

反対にホッブスを「童話」として読んでしまうと、

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ルソーを信奉する向きには(ルソーの「童話」としては)嫌われるだろう。

しかし、ホッブスの方法論は、ブレーズ・パスカルも採ったものであるし、現代のアメリカにおいても議論を提供している。素朴な事実認識に基づくからだ。

ホッブスは、エリートとして、古典を引いて現実の問題をうまく調和させようとしたのであり、ルソーは、懸賞論文に応募した。そもそもその掲題が、古典的なレトリックに満ちたものだったのだが、ルソーはそれに独学で答えた。

ルソーの読書の趣味は、7歳の頃、12歳の頃、25歳の頃と続いているが、それぞれ裕福な幼児期、貧窮と虐待に苦しんだ少年期、年上の夫人とゆとりと安心のある生活を営んだ青年期である。その間に、退廃した虞犯少年乃至不良少年となっている。

サロンんへ行けば、ホスト並みに持て、やがって夫人どうしでルソーの取り合いになって、ひもの生活を手に入れたらしい。これがまさにひもなのは、一度夫人の家を出ても、安易に戻ろうとしたことである。