すなわち、人文学的デカルトの直系がルソーであった。
分かりやすく言うと、「数学ができないデカルト」がルソーである。
デカルトの実在的な〈我〉は、ルソーにおいて修辞的な〈私〉になり、カントにおいて(主体から分かれて、述語を説明する)主語となった。
心身二元論は主体述語二元論となったのだ。それらを繋ぐのが主語である。
反対にデカルトはそれを「合一」と呼んだのだ。
しかし、カントは、 論理的 に考える場合においては、それらは分けたままで十分と批判したのだと思う。それがヴィトゲンシュタインへ流れてゆく。
ルソーは「社会科学の祖」と言われることもあるけれど、ルソーに於ける技術的な数学との乖離をふたたび数学に戻したのは、コンドルセでないかと思う。
そう考えると、ルソーは、デカルトとコンドルセという2人の偉大な数学者の間を取り持ったことになるけれど、なぜそれができたかというと、「社会にある本質的な「悪」」という考え方を明示したからだろうか。
デカルト『情念論』を解読する | Philosophy Guides
デカルト『情念論』は
ユナニ医学の影響を見ないと、評価できない。
しかし、ユナニ医学の基本である体液病理説(四体液説)は、1858年のウィルヒョー(ウィルヒョウ、フィルヒョウ)の細胞病理説まで、ほとんど議論の余地なく受け継がれていた[13]。
基本的に、デカルトの「近代性」「反アリストテレス」には、相当制限が付くのではないかと思う。少なくとも「近代人」ではない。
「心身二元論」から「心身の合一」に至る発端に「欺く神」が居て、道程に「悪霊」が居るのではないかと思う。となれば、心身二元論もまた、
肉の神学である。
このとき、デカルトとは別に、近代の黎明を告げたと言われるスピノザの「悪」と、何が比較できるのか。