これがよくわからないのは、デカルトを引かないからだと思う。

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Kyoto University Research Information Repository: 一七世紀科学革命と音楽--一デカルト研究者の視点から

デカルトの音楽論 : その音楽理論史的考察(大会報告)

デカルト『音楽提要』における「注意attentio」について

肝心の論文をひとつ見失ってしまった。

デカルトのオリジナルな画(今日、「デカルト座標」と呼ばれることとなった元の画)は、

  1. 数直線ではない
  2. 直交ではない
  3. 代数方程式に対応している(超越数ではない)
  4. 量による比を表現している(数ではない)        

という特徴を持っている。

ルソーをデカルトやラモーと比べると、あまりに数学的な能力が見すぼらしいのだ。
これは特筆してよいと思う。

ルソーが始めた表記法は、今で言う、TAB譜である。

tab譜(タブ譜)の読み方を覚えよう。ギターの写真と譜面を照らし合わせて解説 | 弾き語りすとLABO

ルソーはメロディー重視というが、メロディーしかわからなかったのではないのか?

 

板風
★★☆☆☆ じゃあチンギスハーンを肯定しあまつさえ英雄視するモンゴル人に対してはどう言うつもりなの?
2023年7月17日に日本でレビュー済み

たぶん、これが「有力な反論」だと説得的に思れているのだろうと思う。

これに答えられるのは、基本的に、法学者、法哲学者です。

要は、実際は「近代社会とは何か」を問うているからです。

このとき、科学や合理性から答えるのではなく、「ポスト近世社会、就中ヨーロッパではポストキリスト教社会」と答えられるかどうかです。

「戦後」なら「ポスト戦前社会」です。

そして、この「ポスト」とは、前時代の価値を何かしらの意味で「遺(残)している」ということです。

もちろん、チンギスハーンの時代の影響のさまざまな様態で残っています。

もっと直接的に、私たちを規定する、乃至、影響を持っているということです。

「戦後社会」を作ったのは、反対の意味でナチスです。

もう80年昔の「歴史」ですから、そう思っても違和感はありませんが、特に日本において「個人」の価値が、日本の文脈なら近代的な「全一」思想とどういまだに関係しているかという問題になります。

私たちはいまでもファシズムと向き合っています。

シガスカオ
 あの「炎上」は私も見ていました
2023年7月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入

ジャニー氏を「素晴らしいエンターテイメントプロデューサーだった」などと評価して「もうファン辞める!達郎の音楽など2度と聴かない!」と、総スカンを食らった山下達郎に等しいのである。

この方のような意見はいま大勢を占めていると思います。

ここで着目されているのは、「犯罪」や「悪」の問題ですが、それは社会全体の問題だと気づけているでしょうか?
もちろん、大事なことです。なぜならば、被害者を救済しなければならないからです。

反対に、「被害者」という個人はいつまでも注意を引きません。ジャニーズ事務所に所属している、所属していたタレントの、それぞれのファンの方は、そうでないかもしれませんが。

「喜多川ヒロムはよいことをした」かどうかではありません、「被害者」という個人を前にして、「我々は善きことができるのか」です。
それは、私の考えでは、契約問題で、安全な労働環境(に対する十分なコスト負担)への監視です。ここでは、素朴な感情に反するかもしれませんが、未成年であるがゆえに、保護者の責任も関わってきます。親に対しても「個人」の啓蒙が必要となります。これが難しいのは、「尊重」と完全な「=」とは限らないことです。つまり、「子の意見を十分聞けばよい」ではない、ということです。親には親自身の相当の理解力と判断能力が求められます。親自身も親=子でない自覚が求められますし、教育と支援が必要です。関係の優劣が被害を生み、もっとも弱い個人に帰着していることを忘れてはなりません。そこでは親も加害者になり得ます。鍵となるのは、十分「思う」ことではなく、方法論的に適切に理解することです。☟note

ここで言いたいのは、「目的論」以前の「個人」です。

markovproperty.hatenadiary.com

私たちはいまだにLGBTQの人権について、うまく答えられないのが、事実なのです。


ジャニーズ事務所に所属しているタレントの、テレビで放映されるスポーツイベントへの起用の是非が問われていますが、海外から見ると、そのような契約は「辞めればいいじゃない」と、個人の責任として問われるという派生的な問題を生じるようです。

ここでは、「ジャニー自事務が「悪」」なのか「契約が「不適切」」なのか、別個の問題が生起しています。

ここでは我々の社会固有の問題として、社会の利益を契約として実現してゆくことへの理解が不足しているように思います。本当にタレントが不利益を被るべきでしょうか?

社会的利益の実現への方法論が問われています。


information-station.xyz

最近、評価を落としたChat君に聞いてみた。

 

―直観をギリシャ語にすると

直観をギリシャ語にすると、「αισθητική αντίληψη」(アイステティキ アンティリプシ)となります。

―ergo の意味

「ergo」はラテン語で、「したがって」や「それゆえに」という意味を持ちます。英語の文脈では、特に哲学や論理学の用語としてよく使われます。この言葉は、前提から結論を導く際に使用され、推論や論証を明確にするために使われることがあります。例えば、「Aが真ならば、Bも真である。Aは真だと分かっている。ergo、Bも真である。」というような使い方があります。

―ergo を中国語で

「ergo」を中国語に訳すと、「因此」(yīn cǐ)です。これも「したがって」や「それゆえに」という意味を持ち、推論や論証の文脈で使われることがあります。

―中国語「因此」の意味 「因」と「此」に分けて

中国語の「因此」は、「因」(yīn)と「此」(cǐ)の二つの文字から構成されています。

  1. 「因」(yīn)は「原因」や「理由」を意味します。何かが起こる原因や理由を示す際に使われます。

  2. 「此」(cǐ)は「これ」や「この」という意味を持ちます。特定のものや事柄に対して言及する際に使われます。

したがって、「因此」(yīn cǐ)は、「その理由で」、「このために」、「従って」、「したがって」といった意味合いで使われます。文章の流れや論理的な推論を表すためによく使われる表現です。

―ergoの語源

「ergo」はラテン語の接続詞であり、ギリシャ語に由来します。

その語源は、ギリシャ語の「ἐργόν」(ergon)です。この言葉は「仕事」「活動」「行動」という意味を持っています。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「energeia」(エネルゲイア)という概念を提唱しました。そして、これは「動き」や「活動」という意味でした。この「energeia」がラテン語に「ergo」(仕事や活動)として移り変わり、接続詞として「それゆえに」や「したがって」という意味を持つようになりました。

 

この説明と

「故」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

「即/卽」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

「是」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

を合わせて考えると、

  1. 我思う 因此 我在り
  2. 我思う 即是 我在り

ならば、2の方が真意に近いように思える。そうすると「直観」からの理解が受け入れやすくなる。だからこそ、「心身二元論」なのだ。
しかし、このとき注意しなければならないのは、

  1. それ自体を論理的に説明する方法がある
  2. その当然の帰結を論理的に説明する

とき、1を実在論(命題論理)が満たしており、一方で、その結果、デカルトの「心身二元論」は「心身の合一」へ向かう
この向かっている様こそが、”ergo”なのだ。

「我思う ゆえに 我在り」とは、デカルト自身も悩んだ言葉であるが、結局、このような二段構えの理解に落ち着いたようだ。

www.jstage.jst.go.jp

これを「時間」論と捉えると見えにくくなる。これは「始原」論で捉えると見通しがよくなる。

心身二元論とは、要は、全体論である。

なんのことはない、デカルトの最期の批判者カントは、ルソーに感銘を受けたのだが、ルソーはデカルトの最期の(直接の)後継者だったに過ぎない(なぜなら、デカルトは、ルソーの直後にカントによって「過去」に追いやられるからだ)。

ルソーの「一般意志」とはこの二元論のことであり、ルソーの〈私〉とはこの合一論のことである。要は、神学である。ただし「異教的」であり、 克服せねばならない 、、、、、、、、、 宿命を負っていた。

なぜ、ルソーは、論理的に「社会契約」を考えなければならなかったのか。
ホッブスが非論理的だったのではない。むしろ、現代の先駆けとなる、論理的機序を導入していた。)
ルソーの『人間不平等起源説』で 暗に 、、 批判されているのは、新プラトン主義に過ぎない。ルソーはデカルトの哲学を再解釈したようだ。

このとき、万学の王として君臨したデカルトの才能うち、人文学的素養が、ルソーには合っていたようだ。すなわち、ジャン=ルイ・ゲズ・ド・バルザック、ルネ・デカルトジャン・ジャック・ルソーである。

ラムスとは? 意味や使い方 - コトバンク

そこにペトルス・ラムス(ピエール・ド・ラ・ラメ)が影を落とす。

デカルトと記憶術の伝統―ラムス主義を経由して | CiNii Research

デカルトはシュンケル(=ラムセス)の二項分類による「記憶術」を批判して、代わりに推論規則による「記憶術」を提唱する。
しかし、おそらく、「我思う ゆえに 我在り」は「記憶術」ではない、ということなのだ。

「直観」というのは、感覚の変りやすい証しでもなく、 虚構の想像力の誤れる判断でもなくて、純粋なかつ注意せる精神の把握、 しかも理解するところについて何の疑いをも残さぬほど容易な判明な把握である。 換言すれば、ただ理性の光からのみ生まれ、演繹よりも単純であるがゆえに 一層確実であるところの、純粋なかつ注意せる精神の不可疑の把握、である(…)。 かくてすべての人は精神を以って直観することができる、 みずからが存在すること、みずからが思惟すること、 三角形がただ三つの線によって限界づけられること、 球がただ一つの面によって限界づけられること、など。 ---デカルト

DESCARTES

それが「直観」であって、だから、二元論であるようだ。

博識と規則の遵守をもってよしとする当時の散文作法を「偽の雄弁」と断罪するバルザックは、人間個人に具わる「自然の理性」をもってすべてを再審に付し、古代ローマ黄金期のキケロの文体に倣いつつそれを凌駕することを目指しながら、母語である「フランス語」でもって「自己」を探究し「自己」を表現しきることに「真の雄弁」の原理を見出す。この大胆な雄弁理念を通じて、ラテン語を知らないフランスの一般人に専門知識が開かれることをもまた目指した。これはデカルトの「理性」にもとづく哲学改革に符合するものとして注目に値する。反レトリック主義哲学者のデカルトが、修辞的文体に覆われたバルザックの文章を称えた理由も、こうした共通理念があってのことと知れば、よりよく理解されるだろう。

デカルトとレトリック

それを修辞やメロディーという所謂「時間の芸術」として受け継いだのが、ルソーだったようだ。

ルソーの言語論と音楽論における国民とアイデンティティー

学問間における混合 : ラムスによる弁証法と数学の場合  

ラムス主義レトリックとデカルト : 近世フランスにおける自由学芸改革の一側面(久保田 静香 (Shizuka Kubota) - 論文 - researchmap)

Musashi Academy of the Nezu Foundation Institutional Repository: 『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体

ルソーは何を否定したかったか。

 

―直観をギリシャ語にすると

直観をギリシャ語にすると、「αισθητική αντίληψη」(アイステティキ アンティリプシ)となります。

―「αισθητική αντίληψη」の日本語に翻訳してください「αισθητική」とは何で「αντίληψη」とは何ですか

「αισθητική αντίληψη」は、日本語に翻訳すると「美的感覚」となります。

「αισθητική」はギリシャ語で「美」や「美的な」という意味を持ちます。美的な感覚や美に対する理解や評価を表現します。

「αντίληψη」はギリシャ語で「理解」「認識」「知覚」という意味を持ちます。これは、何かを感じ取ることや理解すること、あるいは物事を知覚することを指します。

したがって、「αισθητική αντίληψη」とは、「美的感覚」を意味し、美や美的なものに対して感じ取り、理解し、評価する能力を指します。この概念は美学や芸術理論などで重要な役割を果たします。

―Τους κλασικούς φιλόσοφους η Αισθητική δεν τους απασχολεί παρά υπό μορφήν παραρτήματος των άλλων τριών τμημάτων της Φιλοσοφίας. Ο Σωκράτης πίστευε ότι το καλόν συμπίπτει με το αγαθόν, ενώ αμφότερα συμπίπτουν με το ωφέλιμον. Δηλαδή για τον Σωκράτη, η Αισθητική (το καλόν, το κάλλος) και η Ηθική (το αγαθόν) δεν είναι παρά οι δυο όψεις του ίδιου νομίσματος: της ωφελιμότητας. Η άποψη του Σωκράτη, αν και υπό αίρεση ως προς το δεύτερο σκέλος της (ως προς την ωφελιμότητα του καλού και του αγαθού), έχει μολαταύτα ενδιαφέρον ιδίως ως προς το πρώτο σκέλος της (της σύμπτωσης του αγαθού και του καλού, ήτοι της αισθητικής και της ηθικής). Χιλιάδες χρόνια αργότερα, ο μεγάλος γερμανός φιλόσοφος Φρίντριχ Νίτσε, διαπρύσια διακηρύττει την Αισθητική ως την Ηθική του μέλλοντος, αποτελώντας έτσι προέκταση της σωκρατικής σκέψης.※

日本語に翻訳すると次のようになります:

古典的な哲学者たちにとって、美学は他の3つの哲学の要素に付随するものであり、独立して彼らを関心を引くものではありませんでした。ソクラテスは、美(善)は善(利益)と一致し、両者は利益と一致すると信じていました。つまり、ソクラテスにとって美学(美、美)と倫理学(善)は同じ硬貨の2つの側面であり、利益の面です。ソクラテスの意見は、特に美(美学)と倫理(善)が一致するという第1の側面に関しては異論の余地があるものの、興味深いものとなっています。数千年後、偉大なドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは、美学を未来の倫理学として宣言し、それによりソクラテスの思想の延長線上に位置します。

 

class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener"Αισθητική - Βικιπαίδειαより

18世紀に啓蒙主義の思想と自然科学の確立に伴って表面化した科学的認識と美的もしくは感覚的認識の相違が認められたことと関係している。アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテンは理性的認識に対して感性的認識に固有の論理を認め、学問としての美学を形作った。後にカントは美学の研究について美的判断を行う能力としての趣味を検討し、趣味を支配する普遍的な原理は存在しないことから、美学を美そのものの学問ではなく美に対する批判の学問として位置づけた。

美学 - Wikipedia

デカルトは弁証と数学が分かれてゆく直前に生き、その後ガリレオ・ガリレイらによって科学の数学化が行われ、ルソーは美学が哲学から独立する前に生き、カントは批判を立ち上げた。カントにおいても数学はア・プリオリである(しかし、この完全な演繹体系を明らかにするカント・プログラムは、フォン・ノイマンによって放棄させられた。数学もまた経験的だったのである)。