One who loves the truth and you,and will tell the truth in spite of you.-Anonymous                    武者小路実篤番外

 

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再びデカルト

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デカルトが「危険思想」だったのは、彼がギリシャ(すなわち、異教)的な「矛盾」から媒介論をぶつことで、(媒介としての)キリストの義人(ロゴス)であることを否定する(神であるキリストを説明する)三位一体論に抵触したためだが、これは時間とも関係する。

デカルトは「線」と「軌跡」、「時間」と「媒介」を区別する。
「媒介」を用いることで、無「時間」であることが可能になった。

アウグスティヌスの「無からの創造」論 一一 「創世記』第1章1節の解釈をめぐって一一 岡 野 自 Eヨ 雄

底に、こういった議論が「ある」ということである。

アリウス - Wikipedia

アリウスは「父」と「子」を厳密に分けることで、裏から存在(論)に「時間」を導き入れてしまった。
デカルトの「実在」は、そのような意味での存在ではなかった。
「媒介」を通した実在操作は、操作のうちに「時間的」であるが「時間性」はない
あくまで「明証性(明らかになる)」だけである。
これが(三位一体のような)存在論上の媒介(義人としてのキリスト、養子としてのキリスト)になると時間論となる。
すなわち、「馬性は馬性である」ならば、「明証性は明証性」であり、これが「媒介」である

つまり、デカルトは、(ギリシャ哲学の影響を受けたのは明らかだが)イスラム経由のギリシャ哲学の影響を受けたかどうかである。

†世界は始まりをもたないのか  

イスラームキリスト教のような一神教にとって、世界は神が創造したもの である。一方でアリストテレス哲学において、世界は始まりもせず終わりもしない。場としての世界は無始無終であり、そのなかで様々な存在者が生成消滅を繰り返すだけである。よってこの問題はガザーリー以前、後期古代の地中海世界においても哲学者とキリスト教徒のあいだで論争の的になっていた。 さらにアヴィセンナはより新プラトン主義的な解釈をおこなっており、創造とはそれ自体において非存在なものを基礎づけ続けることであると述べている。この解釈によっても、世界が無から有へと転換したとは言えず、世界は つねに神によって基礎づけられている。

伊藤邦武; 山内志朗; 中島隆博; 納富信留. 世界哲学史4 ──中世II 個人の覚醒 (ちくま新書) (p.80). 筑摩書房. Kindle 版.

「神」と「世界」の関係の話である。

アリウス派 - Wikipedia
アタナシオス派 - Wikipedia

神は永遠であるらしい。

「馬性自体は一でも多でも、精神のうちあるのでも外にあるのでも、可能態でも現実態でもない」と述べたとき、「馬性自体」は一とか多とかいった、矛盾対立する選択肢のどちらにも中立的なものとしてあることを述べていた。ヘンリクスが、この「馬性」にこだわるのは、「馬性自体」や「馬性である限りの馬性」が、個々の具体的な馬ばかりでなく、特定の馬に述語が付与されて成立する命題の原初的・始源的なあり方、つまり中立無記性を表わしているからだ。

山内史朗「天使の記号学」(23): CZTのブログ

再び、山内への藁谷と思しき人物による主語/述語/接辞(コピュラ)批判を思い出す。
存在は、主語なのか、述語なのか、存在にコピュラは要るのか?

すなわち、デカルトならば、「軌跡」が馬性であるとして、「線」は「馬」なのか、「(馬が)在る」なのか、〈は〉なのか、〈が〉なのかと考えることに意味があるのか。

ヘンリクスは、その際、<存在>が無限存在と有限存在に限定される場合、二重否定によって生じると考えた。ヘンリクスの議論もなかなか複雑だが、行き着くところは、神と被造物の関係を、類似性によってではなく、模倣の関係として捉えることだ。ヘンリクスによれば、一義性の関係を考えることは、ある共通の形相、実在的な共通部分を考えることになる、という。もちろん、神と被造物の差異を強調しようとして、<存在>を多義的なものと解することは厳に避けられる。ヘンリクスがアヴィセンナに見出したのは、「馬性である限りの馬性」の次元であり、そういう中立無記性の次元を設定することで、(1)神と被造物の絶対的差異を解消しない、(2)<存在>を多義的なものとしない、という相対立する条件を満たすことができると考えた。

(同上)

実は、デカルトの曲線論は、光学技術であって、もともとあった議論(アイデア)は、(パスカルで有名な円錐曲線と同じで)平面図ではなく立体的なのであった。彼の「法線」は(立体)上空から「降ろす」イメージである。要は、二次元を三次元の投射で考えていたのだ。デカルトの「実在」とは、そういった話でもある。意外に盲点でないかと思う。それもあって、実学的なのだ。

それはいいとして、「二重否定によって生じると考えた」ことである。
アル=ガザーリーの「肺」の説明では新プラトン主義の影響を見た。

breath is not the lungs as such or the air moved by them but a divine emanation of potentiality

P.228,The Traditional Healer's Handbook: A Classic Guide to the Medicine of Avicenna - Ghulam Moinuddin Chishti, Hakim G. M. Chishti - Google ブックス

機能を否定することで成立する肺の性質に、同様のことを感じるのである。


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これは、PA2=|→PА|2 で、ベクトルの要素演算から解いているのかな。
デカルトの「アポロニウス的数学」からニュートンライプニッツの「アルキメデス的数学」へ

デカルトに数学的な影響を与えた人たち。

Adriaan van Roomen (1561 - 1615) - Biography - MacTutor History of Mathematics

Christopher Clavius (1538 - 1612) - Biography - MacTutor History of Mathematics

François Viète (1540 - 1603) - Biography - MacTutor History of Mathematics

未知数の誕生

ウマル・ハイヤーム       1048-1131
アブ・ベクル・イブン・ムハンマド・イブン・アル・フサイーン・アル・カラジ                                              953-1029

Al-Karaji was an Islamic mathematician who wrote about the work of earlier mathematicians and who can be regarded as the first person to free algebra from geometrical operations and replace them with the type of operations which are at the core of algebra today.

DeepL Translate: The world's most accurate translatorで翻訳)

アル・カラジはイスラムの数学者で、代数学幾何学的な操作から解放し、今日の代数学の中核をなす操作に置き換えた最初の人物と見なされており、それ以前の数学者の仕事について執筆している。

al-Karaji (953 - 1029) - Biography - MacTutor History of Mathematics

Omar Khayyam was an Islamic scholar who was a poet as well as a mathematician. He compiled astronomical tables and contributed to calendar reform and discovered a geometrical method of solving cubic equations by intersecting a parabola with a circle.

(DeepL Translate: The world's most accurate translatorで翻訳)

オマル・ハイヤームは、詩人でありながら数学者でもあったイスラム学者である。天文表を編纂して暦の改革に貢献し、放物線と円の交点で三次方程式を解く幾何学的な方法を発見した。

Omar Khayyam (1048 - 1131) - Biography - MacTutor History of Mathematics

円錐曲線の発見者
メナイクモスとは - コトバンク

ウマルが試みた解法のアプローチは、彼以前にすでに、古代ギリシアの数学者であり、アレクサンドロス大王の教師で「数学に王道はない」と述べたとも伝わっているメナイクモス(英語版)(紀元前380年-320年)などによって試みられていたが、ハイヤームは方法を発展させて一般化し、三次方程式一般の解法を提示した

ウマル・ハイヤーム - Wikipedia

(解法は、Omar Khayyam - Wikipedia

ハイヤームは、疑いようのない必然存在としての神を定立し、世界生成の階層的構造を新プラトン派哲学に依拠しながら体系化したイブン・スィーナーの死とほぼ同時期に生まれた。ハイヤームは、不運にも、知的閉塞が余儀無くされた時代に、イブン・スィーナーの知的遺産の最良の後継者として生きた高度な知識人であった。また、ハイヤームの生きた時代には、アシュアリー派神学の大学者、ムハンマドガザーリーギリシャ哲学批判を展開し、イスラーム世界における哲学的伝統に終焉を告げるいっぽうで、イスラーム神秘主義が正統教義に組み込まれた時代でもあった。

ウマル・ハイヤーム - Wikipedia

オマル・ハイヤームの初期数学思想 神戸大学大学院・国際文化学研究科 三浦伸夫

11世紀頃、円錐曲線による作図によって三次方程式の解を幾何学的に表したウマル・ハイヤームなども、三次方程式を代数的に解くことはできないと考えていた。

三次方程式 - Wikipedia

ウマル・ハイヤームとデカルトの業績の比較が見たい。
未知数の発見を経て、ウマル・ハイヤームの方法論を書き直したのだろうか。
デカルトカルダーノより後の人である。

ジェロラモ・カルダーノ - Wikipedia

イヴン・スウィーナー ➡ ウマル・ハイヤーム ➡ イエズス会 ➡ デカルト

の経路が在り得るのだ。