不格好だが、完成した。終わらせることも大事だ。
進路指導はアートだとわかった。
要は、お父さん、毎日こどもと飯食って、その1時間をこういった対話に費やすと、1年で365時間、10年で3650時間もあるってことだ。
その時間を作って、親子ともども無理なく、学活、就活、婚活協力できればよい。その実、ちゃんと就職してくれれば御の字だね。それだけのこと。
だから、みんな、子どもの大学の入学式で泣くんだな。
確かにそれを無事迎えられたら感慨無量だ。
自分はろくに親に習ってないのに、今の子なら、放っておくわけにもいかんしね。
お父さんも普段から勉強せなアカンし(なんで子どもだけ放っておけば勉強するっていう話や。そら阪神の話を楽しそうにしてたら、子どもも自然と阪神ファンになるよ。偉そうにすると子どもも勘づくよ、そっちへ近づいたらアカンなって。やっぱり根っから楽しまな)、
やってみせ
言って聞かせて
させてみせ
誉めてやらねば
人は動かじ
話し合い
耳を傾け承認し
任せてやらねば
人は育たず
やっている
姿を感謝で見守って
信頼せねば
人は実らず
山本五十六を地でいかなあかんな、相当だな。
なかなか親子ともども厳しい時代だ。
だいたい生まれで決まるけれどね。常識的な生活態度とリテラシーとアート/サイエンスとロマン/タクティクスだけは教えておかんと。結構、あるな。
まぁ、我が子がそれで悩んでたら、大ごとやわね。
我が子の悩みを知らんうちから、小学校上がる時点で、或いは小学校のうちに、一通りの公の施設をいっしょにまわって、一通りの公的な相談機関のリストを作って、電話のかけ方くらい練習しておくか。トイレトレーニングみたいな、日常的な訓練として。
そんで「お父さんに言うてくれればうれしいけれど、お父さんに言いにくかったら、お母さんに言えばいいし、それもいやだなとか恥ずかしいなとか思ったら、直接かけてもいいよ。」
こういう場合、「かければ」いいぞの方がいいんかね?「ても」だと否定的なニュアンスを圧迫的に感じるものかね?「相談することは何等恥ずかしいことじゃないよ」
こういうとき例のアレが要るな。
「アファメーション」。やっぱり一回はやっといた方がいいな、これ。
それが我が子を助けるかもしれん。
本当にそう思うよ。ありがたい魔法だ。