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ブラウワーはポアンカレに影響を受けたらしくて
これを読むと、カントが深く関係している。
おもしろいところでは、アインシュタインがポアンカレに影響を受けたのではないか、ということで、「奇跡の年」の前年にポアンカレの論文というか檄文を読んで、熱に浮かされるような雰囲気だったという。ポアンカレはそこで「絶対時間は存在しない」と明言した。
ポアンカレのキーワードは「規約」である。「規約」に真偽は成立しないとポアンカレは言う。そして、「幾何学の公理は規約」と言う。
確率論についても「規約」を持ち出しが、それについては、
比較すると興味ぶかい。
ポアンカレはブルバキから見たら、どういう評価と解釈に成るのか興味深い。
訳者プロフィール
ポアンカレは本書の読者に暗黙の前提を置いているのだ.アインシュタインと友人たちはその前提条件を満たしていた.しかし、訳者が本書を読んで欲しいと願っている日本の若い読者たちは,学校教育でカントの哲学を学んでいない(と思う).
P.305,暗黙の前提,訳者による解説とあとがき,『科学と仮説』
言われてますよ。
「オッペンハイマー」を観て来た(ネタバレあり:ただし世間で周知のことだけ)。ウエメセに思われるかもしれないが、「こんな映画がアメリカでは大ヒットするんだ」というのが一番の感想。何故かと言うとある程度、物理や登場人物のことを知らないと、退屈(特に導入部分)ではないかと思ったからだ。…
— 馬場正博 (@realwavebaba) April 1, 2024
実は、アインシュタイン自身は、何と言っていたか。
神だけ に言及していたのか?
ですから、二つの質点のあらゆる可能な位置は六次元の連続体を形づくるわけで、一つの質点の場合におけるような三次元のものではありません。そこで再び一階だけ昇って、量子物理学に来ますと、やはり六次元連続体のなかでの確率波を得るので、一つの粒子の場合におけるような三次元連続体のなかでのそれではありません。それで同様に、三、四、及びそれ以上の粒子に対しては、確率波は九、十二、及びそれ以上の次元をもつ連続体における函数になるわけです。
この事は明らかに、確率波なるものが、私たちの三次元空間のなかに存在しかつ広がっている電磁波や万有引力の場に比べて遥かに抽象的であることを示しています。つまり多次元の連続波が確率波の背景となっているので、粒子がひとつしかない場合だけに、その次元の数が物理空間の次元数に等しくなるのです。それで、確率波の唯一の物理的意味は、一つ並びに沢山の粒子の場合にそれによって私たちが関知し得る統計的疑問に答えられるということであります。このようにして、例えば、一つの電子に対して、ある特殊な場所でこれに出遇うという確率を尋ねることができるのでした。また二つの粒子に対しては、与えられた時刻に二つの一定の場所で、この二つの粒子に出偶う確率がどれ程であるかということを、問題とすることができるのでした。(略)
—PP.184-185,確率波,Ⅳ量子,『物理学はいかに創られたか』
科学はまさに法則の集積でもなければ、まとまりのない事実のカタログでもありません。それは人間精神のひとつの創造物であって、それが自由に発明した思想や観念うぃ含んでいます。物理学の理論は実在の一つの形像を形づくって、それと感覚的印象の広い世界との連関を確立しようとしています。
(略)
量子論は再び私たちの新しいかつ本質的な性質を創造しました。連続性の代わりに、それが不連続で置き換えられました。個々の物を支配する法則の代わりに確率の法則が現れました。
(略)
光は波でしょうか、または光子の驟雨でしょうか。電子線は素粒子の驟雨でしょうか、または波でしょうか。これらの根本的疑問が実験によって物理学の上に解決を強要します。これらに答えようとするのには、私たちは空間及び時間における出来事として原子の現象を記述することを見捨てなければなりません。そして私たちは古い力学的見解からなお一層後退しなければなりません。量子力学は個々のものではなく、集群を支配する法則を形づくってゆきます。性質ではなく、確率が記述され、体系の将来を明らかにする法則ではなく、確率の時間による変化を支配し、従って個々のものの大きな集合に関する法則が立てられます。
—PP.189-194,物理学と実在,Ⅳ量子,『物理学はいかに創られたか』
これは、アインシュタインも存命中であった昭和14年(1939年)10月、アインシュタインの来日公演(1922年)で通訳を任された石原純に翻訳されたもので、「訳者序文」に日付があるが、原著がいつ書かれたかは定かではない。石原は留学中にアインシュタインに学んだこともあった。
「神はサイコロを振らない」と言うときの私たちの俗説(的理解)がいかにどうでもよいかがわかるかもしれない。
序文でアインシュタインは「物理学並びに哲学的思想に興味を抱く人々を望む」と明言している。この哲学は(かつて哲学=アリストテレスであったように、)カントのことであると思う。
そして、実のところ、アインシュタインの最大のライバルであったフォン・ノイマンは、『数学者』でこれに応えていると思う(それには数学基礎論とヒルベルト・プログラムを知らなければならないが、それ以前に、カントとカント・プログラムを知らなければならない)。
彼らの会話はこのようにして為されるのだ。