不協和音と音楽の進化

さまざまな研究チームがすでに、言語、他の音楽のジャンル、さらには科学的な話題における進化の力学に注目している。今回明らかになった文化的進化の形式が、科学や工学にどのような影響を与えてきたのか、今後の研究に向けてのギャップがどこにあるかを知ることができれば興味深い。

 

newspicks.com

コメント(コメント子の読解、或いは読解のポイント)も含めて興味深かったのだけれど。
👇この話は、すごく面白かった。新幹線の顔ってそうやって、できるんだな。
遺伝的アルゴリズムで遊べるシュミレータ置こうよ。
「どこに」とは言いませんが。
スマホのアプリとか。

trendy.nikkeibp.co.jp

遺伝的アルゴリズム - Wikipedia

 
いや、そういうことじゃなくて。

ftheminion.hatenablog.com

こういうのも、進化アルゴリズムでわからんもんかね。

『ダメージでかい』が「精神的なダメージがでかい」を意味するなら、煙を嫌がっているわけで「嫌煙」だと思うけれど、「嫌煙家」かどうかはわからない。
『自分も元喫煙者のくせにな』には、普通、自嘲気味な態度を見て取るのだろうけれど、敢えてそれを主張する意思の強さを見る人もいるかもしれない。そうすると、「嫌煙」から「嫌煙家」への認識の飛躍=推論を可能にするのかもしれない。
ただ、それは飛躍であるので、「家」の部分に新奇性があると言える。
そうすると、この伝播は進化するか、って話になる。
どうなんだろう?

過剰防衛反応のような気もするけれど。そういうのって、伝播するのかね。
「簡単に誤らない文化」って根付いてきているよね。
僕らの小学校の頃の国語の教科書では、「遠い外国の話」だったのだけれど。
「男は閾を跨げば七人の敵あり」と言ったのは、イエとイエの間に在る社会は男の狩りの場だった頃の、昔の話。
「雨垂れは三途の川」とも言うらしい。飛沫を飛ばしたら地獄の沙汰が待っていると思うと。世知辛い(勘定高くて、抜け目ない)世の中だねぇ。


※慣れていないので、感じられる影響が大きい、ということだろうけれど。具体的にその影響が何を指すのかはわからない。
ここから帰納して、いろいろな「推論」が成り立っていると思うけれど。
例えば、『もうほぼないから』の『から』は、その結果どういう接続になるのか、とか。「信頼できる話者」であることが必ずしも保証されていない。