マーキング(或いは、支配戦略)❷  ネイサン・ロスチャイルド

 

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相互言及ゲームを思い出す。自己が何者かわからないが、相手にはわかる。このとき、相手の振る舞い(手を挙げることが指定されていた)如何で、自己が何者かを知ることができるのだが、相手もそうであるから、結局、自己の「不確かな振る舞い」から相手が自己(相手自身)を確信したとき、その振る舞いによって自己(自分)を知るのであるなら、「不確かさ」(という前提)が推移してある帰結をもたらしても、帰結に「確からしさ」が保障されているわけではない。このゲームの見落としている点は、時間と振る舞いの曖昧さである。つまり、無時間的(瞬時)に振る舞いが決定されるということと、振る舞いが二値で決定されることであるが、これが必ずしもそうとは言えないはずなのである。先ほど、「不確かさ」と言ったのは、振る舞いを三値としたからで(逡巡する場合、さもなければ行為中を含む。即ち、1/0.5/0)、それが時間(逡巡する時間、さもなければ、手を挙げる、決定をした後のそれを行為する時間)を生んでいるのであるから、排中的なさきほどの前提は、成立しないのである。
なぜそう思いついたかというと、「振る舞う」「そして」「振る舞う」として、(timeは連続量ばかりを表すとは限らず、timesもあり)「そして」の連結子によって(離散的な)「時間」がすでにカウントされていた(はず)だったからである。《1と0の間》は不確かであるが、1でも0でもないことは確かであるので、観念上は(0.5として)カウントができるのである。
要は、順序を司る連結子「そして」がトリックスターで、すなわち自己言及(のパラドックスを形成)しているのである。したがって、自己言及を止揚するにはどうしたら良いか、という問いかけが本質的であった(当初の設問は、トリックスターを最初からないものとみなすー現れるのが不可能のもの、さもなければ、ないものとする方向で世界が常に形成(解釈)されるー、という問題解決である。正しいパラドックスは本質と関係している⦅c.f.偽問題⦆)。

そこで、あるゲームを考えた。
相互言及ゲームで、自己(A)が何者かは分からない。自己(A)以外は、Aが何者かを知る手掛かりがある。すなわち、帽子上に、例えば、(AB)というように、正しい明示と間違った明示の二種掲げてあり、どちらが正解かはわからない。
三人でこのゲームをすると、どうなるか。

    [自分]        [他1][他2]
(AB)(BC)(CA)のいずれか|(BC)|(CA)

[自分]は何を掲げているか、[自分]から見えない。[他1][他2]が何を掲げているか、[自分]から見える。

今見てきたことで重要なのは、「何が真実であるとわかるか」ではなく、バイアスを選択することで「関係が安定するか」である。そして、これが他の条件をすべて無視してよいなら、バイアスを選択する利益があるはずなので、積極的にバイアスを選択する(自己実現して、関係が安定する)ということである(もっとも利益の大きなるバイアスを選択するー他人が自己と同じように利益の大きなるバイアスを選択する、というバイアスも含めて)。
ならば、適当にABCを割りふっても同じであるが、「他の条件をすべて無視してよい」かどうかわからないとき、割り振りの契機に対して、感情的な留保がつくようである。つまり、「彼はなぜ、それを言い出したのか」の理由が、「本当にそれだけか」と言うようにして、十分制限されて特定できない為である。


〇交歓(メディア)プラットフォームにおける「郵便的マルチチュード
~「郵便」(順序を持ったメカニズム)と「誤配」(「不確かさ」)
〇メルカリ等における「現金」の販売ー現金はそれ自体モノ(価値保存した「財」)であるため、交換対象であり、(財に無差別な)時間効果を持つ。
~名目価値の「不確かさ」はあるか。c.f.2,000円札