メモ 例えばこんなイメージ

【最近接発達領域 ZPD】
ヴィゴツキーがともに精神年齢の8歳である2人の子どもに異なる指導を与えてみたところ、1人は9歳相当の能力を発揮し、1人は12歳相当の能力を発揮した。
実年齢はわからないが、仮に、下記のとおりと考えてみる。
IQZPDをZPDのIQ換算値として、到達年齢=実年齢×(IQ+IQZPD)/100

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 以上を踏まえて考えを進めてみる。

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IQZPD<0のとき、それがunder achiveを意味していると言えるだろうか。
IQが135の児童が中学校卒業時に大学教養程度の学力"しかない"ことがunder achiveと言えるのだろうか?
ヴィゴツキー知能指数という「過去の到達」への妄信を批判し、「将来の到達」をもたらす指導を擁護した。
IQ120を超えるとそれ以外の社会指標で能力差が統計的に有意に現れたことがないことを信頼しつつ、ZPDを具現化する指導のありようとはいかなるものか。
或る個性を持ったIQ120overの児童が、中学校卒業時に或る分野で大学教養程度の学力に到達できるZPDを持ち、それを具現化する指導を時宜を得て適切に受けられたならば。例えば、高校進学後に(もちろん、それを受けるための専門の指導に従って)受ける数学オリンピックの結果を以て、それを証明できるだろうか。

充足理由律 - Wikipedia


このとき、考えたいのは、ZPDが経路依存性を持つかどうか。
そこに知能以外の認知要素、興味であったり、情動作用であったり、或いは、学習履歴であったりが、どれほど関与してくるか。
いずれにしても、ZPDを考えるには、IQで一律に考えるわけにはゆくまい。
筒井康隆 - Wikipedia

特別科学学級 - Wikipedia
そうすると、「マリリン・ボス・サバントとポール・エルデシュパラドックス」も理解できると思う。
より高度な学識に到達するには、体系的な知識の受容が求められ、そのためにはIQ以外の要素も有意に関与するのではないか。
反対に、IQだけ見て、高度な認識を獲得させようとしても、常に期待できるのかどうか。

また、和田秀樹の「テクニック訓練」も卑下するようなことはなく、経路依存な学習効果が期待できると思えばよいのではないか。ゲームの枠組みを理解するのも立派な認知能力であるし、それを割り切って勉強するということは、そこにZPDを認めて「将来能力」を伸ばしていることに他ならないと言えないだろうか。
ただ、世の中そんな人ばかりだと、社会効率上望ましくはないー合成の誤謬が起こるかもしれない。つまり、その「エリート」は、アスリートであっても、それ以外ではないし、サッカー選手であってもラグビーの選手になれないかもしれない。

ピーターの法則 - Wikipedia
ヴィゴツキーピアジェとデューイをピーターの法則でつなぐことができるだろうか。
このとき、ピーターの法則とは、とりあえず適当に、顕在能力と潜在能力の差(伸びしろ)があるとき、顕在評価と顕在能力の差(評価獲得余地)があることとしておく
(∀ε∃δ に関して 顕在能力ー潜在能力=δ>0 ⇒ 顕在評価ー顕在能力=ε>0)。

ポンチ絵を描くとこんな感じだろうか
ヴィゴツキー的知性×ピーターの法則ピアジェ的知性)×再帰的統合⇒デューイ的知性

このとき、ヴィゴツキーの知性とは体系的知識に関する分析的知性であり、ピアジェの知性とは統合的知性であり、デューイの知性とは、体系的知識に空白を与えたとき、再帰的に統合して分析的知性を完成する、充足的知性である(充足理由律 - Wikipedia

 

 

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