ちなみに、「発端」の対義語は「終局」「結末」らしいけれど、それだとよくわからなくなるので、要は線分の両端ということ。
歴史的に見て、「線」と「線分」のどちらが先に認識されたかというと、実は「線分」であって、「線」は、抽象的なモノとして、その後に「線分」を発展させた考え方。

 

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カネの元祖は「借用書」だったと考えるときに、理想的な「物々交換」はなかったと考えるのであるが、実は「理想的な物々交換」は、カネを対象として起こっていたと主張している(こうして、カネが後代に発明されたのではなく、ごく初期の市場ですらあったことの説明も同時にしている。なにしろそれこそが「物々交換」なのであるから)。問題は、「『物々交換』でなくなる」とはカネの使用を以てするのではなく、カネの尺度化という或る胚胎を以てするのであるーそれは傾向対傾向といった二回微分を要する抽象的なことであって目に見えないことであるから、言葉(を含めた記号)の上にしか「存在」せず、即ち説明を要することである、ということである。