彼女(宝部夫人)は、自分では、こよなく若い者に理解のある物わかりのいい大人だと信じているが、実は彼女はなんにも青年たちを理解してはいないのだ。こういう人物こそが、本当は、青年の見えない敵であり、また、これが世にいう、ものわかりのよい大人の本質なのだ、つまりは子供と同じなのだという三島由紀夫の“逆説”がここにあるわけである。

—  十返肇「解説」(文庫版『永すぎた春』)[3]

永すぎた春 - Wikipedia

これが正しいか正しくないかはまったくわからないが、さっぱり通用しない世の中にはなったな。