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例えば、「女の視線」なんて変なことに拘って、偏見を露呈した教授がいたけれど、それは単に、広重以前の「立体図」の原理を無視しているだけの話なんだよね。
坊主の見ている先は後ろ(見切れた左方向の先)ではない。便所である
坊主は水平方向にしか描かれていないだけである。
ヨーロッパの透視図法を取り入れる前は、→水平成分、↗前後(奥行)成分、➘上下成分の△で空間を表現していたようだ。
例えば ↗Long(Deep)、→Time、↖Verocity?
なぜ、振り返るか。
特に、ポイントは足の位置。移動時は足首を水平方向に平行に置く。停止時はつま先を開くようだ。そうすると、犬の水平位置と男の水平位置に差があることがわかる。
下の2枚を比べるとよくわかる。
👇琵琶法師と小僧はともに水平位置に居て、琵琶法師のレベルと小僧のレベルが前後にある。
琵琶法師と小僧は連れ立って歩いているが、進行方向は前⇒奥であり、足さばきは(向かう方向ではなく)「移動」の記号に過ぎないことがわかる。
ポイントは、4匹の犬で、奥の黒い犬は誰に向かって咆えているか、振り向いたぶちの犬は誰に向かって咆えているか
👇歌川広重『御油旅人留女』
透視図法を用いると、このような位置関係が表現できる。
つまり、女の視線の先に特別な「意味」などなかったのである。
どのような場合でも、様相と構造をごっちゃにして考えてしまうことで「意味の病」に陥る、なんてないようにしなければならない。
さも意味ありげでも、どうでもよいことはどうでもよいんだよ。