「下手」を解釈するのは難しい

 

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東村アキ子の『かくがくしかじか』は面白くて、彼女はもちろん美大出身なのだが、描かれてる画が興味深い。2コマほど「あれ!?」と思ったのが、帰省したさいの、坂道の描き方と軽トラの描き方だ。

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『湯女図』は想像を喚起させるみたいだ。
自分がまず着目したのは、3つの動線で、よく言われる「視線の先」と、「つま先」と「袖先」だ。ばらばらなのだ。
「つま先」が大事なのは、後に、   が人物図の指南書を描いたとおりで、これは現代のポーズ集みたいなものだが、左右のつま先を繋いだ線の取り方が基本だったらしい。つまり、その人物の傾きを示している。 

 「袖先」は、その人物の動きとはあまり関係がなく、どうも、人物どうしの前後をあらわしているらしい。
さて、問題の「視線の先」だが、

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なるほど菱川師宣であって、「視線」ではなく「大首」と考える方が自然だ。目はたまたま、、、、首についているにすぎずただの、、、従属物だ。
要は、現代的な評価から言うと、「単に下手」なのである。
そこを盛って考える必要はない。下手なものは下手なのである。
どう下手かというと、アングルがすごく大雑把ということである。その適当加減は「つま先」をみればわかる。後年「つま先」に指導上の線を引いてまで強調しなければならなかったのは、下手だったからである。「つま先」だけが下手で、それ以外が上手いなんてことは考えにくい。
ここら辺の適当ぶりは、右の二人の耳打ちを観ればわかる。
左から、A、B、C、D、E、Fと付番する。
「つま先」の原理から言えばおそらく、中央のCが先頭で、対角線上に踏みとどまっているか進んでいるはずであり(踏みとどまっている場合、つま先を繋いだ法線ベクトルに向いている、進んでいる場合、踏み込んだ足先方向に進んで、蹴り上げた足は弧を描いている。)、かつ、それぞれの、特にC、D、E、Fの足の位置関係を比べてもそれは裏付けられる一方で、右端のFが前のEに耳打ちをするばかりにC、D、E、Fの位置関係がおかしくなっているのである。FはEに後ろから連れだって歩いているはずが、「袖先」の原理から言えばFが手前に来ている。しかし、足の位置はやはりEが手前なのだ。そして「つま先」を見ると、まるで水平(横)に異動しているような線を描いているのだ。
つまり、ばらばらだ。遠近法に習熟していないとこうなるのかもしれない。位置関係を集約する技術が未成熟だったのではないか。

ならば、「視線」という概念が、そもそも我々のものに過ぎないおそれがある。

透視遠近法とはとどのつまりは1点(乃至数点)に集約される斜線のことであるので、遠近法に未熟ということは、適切な斜線が描けないことかもしれない。「つま先」の原理はそれを裏付ける。それは首の位置と肩の位置関係から想像できる。
そうでなければ(大胆に、E、Fの「袖先」と足との位置関係を無視するが)、A、B、E、Fは水平に動いていて、実は先頭がAであり、C、Dは中間でよそ見をしているだけかもしれない。これは興味深くて、というのは足の位置関係を基礎に首(のアウトライン、特に鼻)の方向と肩の方向で向きを補正すると、A、Bが見ている先が、実は、最後尾のFであって、耳打ちのしぐさか内容が気になるのかもしれない。その場合、C,Dは「我関せず」でソッポを向いているそぶりなのだ。
この場合、衣装が気にかかる。Eはまるで白装束に頭巾、赤帯で、Fは傘を被ってやはりどちらかと言うと地味な色の格子模様だ。白装束は勘違いでよくよく見ると模様が施されているのだが、頭巾はどうしたものか。要は、登山前の垢すりのコスプレか何かか、別の意味があるのか。

或いは、絵巻的な展開を描いているであって、複数視点が同時に入っているのかもしれない。そうすると、屏風もこの画の右側が失われたのではなく、左側(物語の後編)が失われたか、その前段があって、この画は中央(物語の中編)だったのかもしれない。
この場合、Nコマ目と(N+1)コマ目がEとFを含んで重なり合って同時に描かれており、したがって、EとFが、Nコマ目の向きである斜めに足を置きつつ、(N+1)コマ目の向きである水平に足を置くというアクロバティックな図の犠牲になっているのがEの「袖先」ということになる。要は不可能図形であるのだが、4次元図形だから当たり前なのだ。

4次元を2次元に投射するには線対象を4組持てばよい。すなわと、「つま先」「袖先」「足」「顔」だ。こうなると、もはや和算(?)の新境地だ。こういったことは実は珍しくなくって、人間の認知の発達に関して、位相を(もちろん、厳密に数学的にではなく)直観的に、図形として小学生に教えるとすんなり理解できるのは、むしろそちらの感覚の方が抽象的な透視図への感覚より早く発達することを示唆している。。。らしい。全体の構図より目先の出来事なのである。ただ、ここでは4組(或いはそれ以上)の対を以てこの画の意味を示しているので、それはもっと注目されてよいのではないかと思う。

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https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kohno/lectures/2016fukan1.pdf

 

とまぁ、下手なばかりに、謎が多いのが『湯女図』である。 

 さて、坂道である。

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「坂道」で有名なこの3枚。どれも個性的ですごいとしか言いようのない画だ。

👇はこれらをまとめていて興味深い。岸田はこの一枚だけを描いたたわけではないのだ。実はほかにもある。でもこの1枚が飛びぬけて有名であるのはなぜか。

sakamichi.tokyo

ルノアールだって坂道を描いている。

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