markovproperty.hatenadiary.com
では、フレーゲが大きな脅威とみなし、客観的な存在者を対置させた「心理的存在者」とは何だったのか。それは表象と直観である。
Daston, L., and Galison, P. (2007). Objectivity. New York, NY: Zone Books.
『シカゴ大学社会思想委員会の客員教授を務める彼女は、近世ヨーロッパの科学的および知的歴史の権威です。』(Lorraine Daston - Wikipedia)
心理学を個別的な自己を問題とする学問であると捉え、感情一般や思考一般を抽象的な概念として論考するのではないと考えた。人間にとって心理学の関心は普遍的な原理を知ることではなく、自身の心理を理解するためであると述べている。そして人間が自己と他者に世界を分断して認識しており、自己以外の他者を認識し続ける生理的実感を心理として把握している。
ぱっとみ、『檸檬』を思い出した。
『檸檬』も〈は〉と〈が〉の使い方がセオリー通りで読みやすい。
ただ、以前から疑問に思っていたのだが、『檸檬』の擬音は、中原中也の『サーカス』の影響を受けていないのだろうか。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。
『檸檬』
落下傘奴(ラッカガサメ)のノスタルヂア
中原中也の『サーカス』は『山羊の歌』に入って要るのだが、『山羊の歌』の初出が文圃堂 から1934(昭和9)年12月10日となっている。
こいが意外に重要で、『落下傘奴』と出て来るが、「落下傘」が『ノスタルヂア』の対象となっているのが若干奇妙なのだ。近代的なパラシュートは1912年のアメリカ、1913年のスロバキア人(当時は、おそらく、オーストラリア=ハンガリー帝国)から始まるが、一応第一次世界大戦に間に合っているとはいえ、実際には、どうだったか。
1912年3月1日、アメリカ陸軍の大尉、アルバート・ベリーがミズーリ州上空で初めて飛行機からのパラシュートを使用しての降下を行っている。1913年にスロバキア人のシュテファン・バニッチ(英語版)が、初めて近代的なパラシュートの特許を取得している。
ところが、国立公文書館に残る史料には
情報委員会九・六 情報第一号 南京支那語放送(六日) (熊本逓信局聴取) 一、上海六日電 (イ)我ガ飛行機三臺ハ八月十七日上海日本陸戦隊司令部ヲ爆撃ノ高射砲ニ射撃サレタガ内一臺エンカイプンハ落下傘ヲ用ヒテ降下敵軍ノ中ニ着陸スルヤピストルヲ以テ包囲スル敵数名ヲ撃チ捲リ最後ノ一弾デ自殺シタ、コノ壮烈ナル最後ハ日本ノ各新聞ガ大活字ヲ用ヒテ記載シ壮烈ナル死ニ敬意ヲ表シテヰル。
赤字強調は引用者
なんと、北支事変で日本軍が使用したと言っている(『我ガ飛行機三臺』(一台)の『内一臺』(一台))、どころか、新聞各社が大きく載せたと報じていた(これがない。『エンカイプン』は人名だろうか?よくわからない※)。少なくとも、この放送があった日に、落下傘は「あった」ということが言える。
航空兵戦死の新聞報道(東京朝日) カテゴリー: 日中戦争(第二次上海事変) No. 1246 - 骨董・古物のワールド
似たような話だが、21日の戦闘である。
なお、国立国会図書館の方は、1914年の文献が最初である。
飛行機 図書 (文明叢書 ; 第11-13編) / 田辺一雄 著 (植竹書院, 1914)ほか321件国立国会図書館デジタルアーカイブ
大正時代においては、気球と飛行船に落下傘を搭載していたものの飛行機には搭載され ておらず、研究中の段階であった。飛行機用の落下傘は、昭和 3(1928)年 5 月に藤倉工 業が製作して海軍に納入した時点から本格的な導入が始まる26
26 日本海軍航空史編纂委員会『日本海軍航空史(3)』(時事通信社、1969 年)228 頁。
日本海軍における搭乗員の安全対策について -救命用装備品の変遷を中心として- 柴 田 武 彦 柴田武彦 (防衛省, 2007-03) 掲載雑誌名:戦史研究年報. (10)
(84)① 八九式落下傘二型及三型 計二十個② 昭和九年六月二十一日③ 昭和九年十二月三十一日迄④ 一、新搭乗員ノ延長教育及ビ訓練ノ都合上多数ノ搭乗員頻繁ニ使用シ戦闘飛行ノ如ク補用機全部ヲ整備シ使用ス
落下傘をすでに使っていたらしい。
さて、
中原中也は相当の変人だったらしい。虚言癖も激しく、対人トラブルが多い。
最初は衆望を担うが、人が離れて行ってしまう。
中也の代表作「サーカス」は本人にとっても自信作であり、中也とはじめて会った人間は大抵朗読を聞かせられた。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」のオノマトペを、仰向いて目をつぶり、口を突き出して、独特に唄った[28]
こんな人だったので、『サーカス』の研究は、「本人談」も無視できないが、この人の言うことをいちいち真に受けて大丈夫だろうか?と思わないではない。
要は、満州事変なのか、北支事変なのか、ということである。朝日新聞などは日中戦争に至る発端として満州事変を重要視しているのだろうが、詩の解釈に政治を持ち込まれても困る。そこにパラシュートの歴史があるからだ。
語彙 | 解釈案 |
---|---|
茶色い戦争 | 北支事変 |
冬は疾風 | シベリヤ出兵 |
サーカス小屋は高い梁 | 気球/落下傘 日本気球連盟-気球の飛ぶ仕組み |
汚れ木綿の屋蓋 | 天蓋 →屋外 |
安値いリボン | (不明) |
咽喉 | ロンド ronde に通じる |
牡蠣殻 | 鰯(の背の光)と通じる |
落下傘奴 | ダヴィンチ型パラシュート;「奴」は不明 |
ノスタルヂア | ぽぴん - Wikipedia |
ダダイズム、宮沢賢治、ランボーというが、共感覚でもあったのだろうか?
『檸檬』はむしろロジカルで、『カーン』の意味が中学生のころからよくわからなかったが、「閑と」より「森と」「沈と」の方がしっくり来たものだ。
ただ、これがロジカルだとすると、『ガチャガチャ』の「汚れとチャチャ」が抜けて、「須と」しているなら、わかるだろうか。
この「チャチャ」が、中也の『茶色』に通じていると思った次第である。
こうやって見ると、国語の「論理国語」への流れは至極当然のように思えて来る。
「現代国語」で中原中也なんて「わかる」のだろうか?
多様性のなか、個性としては芸術の「紹介」になってしまわざるを得ないし、共通な言語経験を基にする批評が前面に出てこざるを得ない。
それら専門性の「一歩手前」が「客観性」を担保する「論理国語」ということとなる。