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所謂「梨園の妻」の話らしい。

国際的な写真家として斯界で名の通った田原桂一(実名。1951-2017)と歌舞伎役者の孝太郎(仮名)の妻であった旧姓・向後博子(実名。1970- )という二人の出会いから別れまでの紆余曲折を追った話らしい。

ともに婚姻していたため所謂W不倫であるが、梨園の御曹司である孝太郎に女性問題がつきまとっていたという背景が、博子の運命を交錯させて、フランス帰りで(日本社会から)浮世離れした田原桂一との邂逅を得たことで、育児と介護に象徴される、世間の喧噪から離れた、ロバストな「実生活」を回復しはじめ、倦まず弛まず人生の意味を発見してゆくようだ。

知ってましたか? 歌舞伎界・梨園の「格付けと格差」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(4/4)

いや「実話」でよいのだが、林真理子さんが『奇跡』以外でも売れているのには、なにかわけがないかと思いたくなったのだ。

ある協会

ヴァージニア・ウルフが『ある協会』を書いたら、これなどはオーソドックスな物語構造(神話構造)ではないかと思うのだが、かなりの男性から顰蹙を買ったらしい。

イギリスゆえだろうか、日本で、女性が主人公の『こころ』、女性が主人公の『蒲団』、女性が主人公の『痴人の愛』、男性が主人公の『細雪』を想像するとどうだったのか、平凡なものなのかを考えてもよくわからなかった。

ヴァージニア・ウルフトリックスター自身を主人公とした一方で、それが客人公という言い方はおかしいが、主語から主題への昇華であって、「来訪する」物語である。

まれびと - Wikipedia

「女は港」のような話にならないのは、どうも Life tokenに彩られているからのようだ。

トーテム - Wikipedia

あら筋だけを聞くととただの「昼ドラ」じゃなかろうかと思わないではないが、タブーをうまく使っている印象だ。
こうなると、異類婚姻譚とその一類型でもある羽衣伝説を合わせたような話で、つまり、前者を田原桂一が、後者を向後博子が担いつつも、双方が物語の機能上の「来訪者」であるところから、あらためて家族、家産を為すことはなく、抽象的な幸福を獲得する話らしいが、ラストは異類婚姻譚お定まりの別れを迎える。

これが実話であるところから、リアリティーを超えたロマンスを感じさせるのであった。

つまり、『孝太郎の女性問題はそんなにひどかったんだろうか』という程度問題は、林真理子が想起させる「二元論的世界観」にとって特に意識しなくてよかったことだろうと思った次第だ。

「僕ら、大人になって金持ちになったら..」
「金持ちになったら、何もしなくていいんだぜ!」
「今だって僕ら、何もしていないじゃないか。」
「何言ってるんだ。金持ちになったら、もっと全然何もしなくていいんだよ!」

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双子の太宰治か。

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ロックとホッブスの違いについて考えたい。