犀星忌が60回目を迎えるということで、講師に太宰治子さんをお招きして、講演会を開くそうである。
こいしい人の子を生み、育てることが、私の道徳革命の完成なのでございます。
私生児と、その母。
けれど、私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のようにいきるつもりです。
相変わらず太宰治はふざけた野郎だ。
かず子にとっては、 「 「革命の虹」をかけた、つまり恋に気付かせ、こいしいひとの子を生み、育てる事を可能にさせたのが上原であり、そのことにおいて上原を誇りとしている
P55,太宰治『斜陽』論, 山本 亘
弘前大学学術情報リポジトリ
いけしゃあしゃあと上原=太宰は何を言うのだ。
太田静子と「かず子」の違いは、引き受けた教養の違いだろうか。
太田静子はこのような歌人であって、太宰治とは違う。
そもそも背後にある、思想的なスタンスが違っただろうと思う。
太宰治はハルキに対するヤスケン(村上春樹vs安原顕)みたいな立場だと思ってよいのではなかろうか?
「生活」でない方へアレンジしたのだ。
それを換骨奪胎とみるか、援用とみるか。
太田静子名義がクレジットされてよく、相変わらず太宰治は卑怯な糞と思わずにいられないが、
ということもそこかしこであったらしく、どう考えればよいだろう。
ここにひとつの陥穽がある。村上春樹がふつうの人間ということだ。
ここに見出せるのは「捕食関係」だろう。
例えば、村上春樹がASDであり、安原顕がADHDならば、こういう関係は「さもありなん」と言えないこともない(いつでもそうではないが)。お互いに違う個性で、いわば、凸凹な関係なので、うまく「嵌っている」内はよいのだが、それが続かないのだろう。
太田静子と太宰治がそうと思わないが―いや、太宰治に関して言えば、社会性が破綻していたと思う。
そんなささいな妻の好みを、6年も一緒に暮らした夫が知らないなんておかしい、とヤスケンは批判する。妻の生理周期は熟知しているのに、なんで料理の好みを知らないわけがあろうか、不自然だ、と。
そりゃそうだとしか言いようがない。そして「村上春樹の真実」を声高に言い当てるから、怒り出すというね。デリカシーがない。
でも「春樹ちゃん、どうしたの」と聞いても、「どうもしません」としか言われずにイラっとするのだろうね。
こうなると、カイシャのマネジメントも考慮してよいが、でもそのころのカイシャは社員の都合なんて考えなかっただろう。
村上春樹は、直されたことがなかったというが、言外の言でメッセージを出されていたかもしれないので、そうなると、「言われていない」という村上の証言はみかけ上は「そうである」かもしれないが、円滑なコミュニケーションがとれていたのかどうか。
主述の捩じれ文を書いてしまった。恥ずかしい。
形式的操作に依拠するのは、どうしても図式的に置き換えてもたもたと考えることになるが、推敲で時間をかけることに開き直ってでも、皆そうしているのだろうか、自然とできているのだろうか。別にnoteを取って「計算」した方がよいだろうか。ここにこうやって駄文を書き連ねるのも、他人の文章は比較的見えても、自分の文章は霞がかかったようによく見えなくなるからで、どうにか「他人の文章」になってくれないものかと思っているのである。
それにフォントなら汚くて読めないという心配もない。