それでも論理国語を否定すべきか

太宰の完遂しなければならない文芸が、太宰の身を喰うたのである

 

これ三島も最近の論考で言われてたなぁ。

アメリカではかつて定期的に集団自殺が起こっていて、カルトの集団がそれを起こしていたのだけれど、それを以て『完遂しなければならない』というかね。

ニッチもサッチもいかなくなったと言うよ、フツウは。
反対にこう言ってしまうところに、小説に期待するものが何かを表しているんじゃないかなぁ。

  

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太宰の死は、芥川や三島の死と比べられるだろうか。わからないが、野口英世の死と比べた方がよいと思う。変人の生きざまである。
異なるのは、おそらく太宰は、早々に生きづらさを感じていたのではないかということ。
それを言えないのは、小説の期待するのが、普遍的な人格だからである。