愛していると言ってくれ④

 

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と思ったら、しっかり言っていた。恥ずかしながら今更気づいた。すみません。

I love thee best

Act 2, Scene 2: Popup Note Index Item: "ill at these numbers" | myShakespeare

そうか、しかしこれは

Came this from Hamlet to her?

と訝しがられるような文体だ。you ではなく、theeを使っているが。ここらへんのニュアンスはどの程度なのだろう?後からこれはyouに転じる。

初期近代英語期の代表的文人といえばシェークスピアですが,『ロミオとジュリエット』では,2人称単数について親称 thou と敬称 you の使い分けに関するおもしろい例が確認されます.

連載 第10回 なぜ you は「あなた」でもあり「あなたがた」でもあるのか?

 もうひとつyouについて(一般のyouでもwe,theyと明確に区別されるのは?)

【毎日使う】「あなた」と訳さない"You"の使い方〔#206〕 - YouTube

 シェークスピアが一般のyouを使っていたとするともう少し神妙な訳になる。

シェイクスピアの作品における二人称代名詞

名古屋女子大学リポジトリ

 

 「生きるべきか」の「誤訳」ばかりが取りざたされるが

For who would bear the whips and scorns of time,
The oppressor's wrong, the proud man's contumely,
The pangs of despised love, the law's delay,
The insolence of office and the spurns
That patient merit of the unworthy takes,

Act 3
SCENE 1. A room in the castle.

"despised love" を「叶わぬ恋」と訳すのもかなり奇妙な印象を受けるが、どうなのだろう?直接"incestuous"を言うか、そのほかの蔑むような言葉のどれかか。読み切っていないので、パッと出てこない。

Here, thou incestuous, murderous, damned Dane,
Drink off this potion. Is thy union here? Follow my mother.

Act 5
SCENE 2. Part 3 A hall in the castle.

 

なるほど、ハムレットとはこんな話だったのか。
to beの有名なセリフは、フツウに(現代風に)読めば、ラストの Be all my sins remember'd.に続くんじゃないかね。

でこれは亡き父王の亡霊も言っている罪の告白なく死ぬことの震えるほどの恐ろしさに通じる。

No reckoning made, but sent to my account
With all my imperfections on my head

この一節は「善き死」が主題となっていて、「いかに死ぬか」を反問するところ、それが「いかに生きるか」の逆説になっていない、、、、、、ことがミソのような気がする。即ち、「死生観」ではない。「神の国」のハナシだから、 Be all my sins remember'd.で締めくくる。
ところが私たちが読み間違えるとしたら、第一に、直後の文が、

Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them?

だからであって、to suffer or to end すなわち to live or to dieであり、ここは日本語だと、「このまま座して死を待つべきか」が近いと思う。
ただ、このような感慨に至ったのが、父王の恨みを聞いたからであって、

But this eternal blazon must not be
To ears of flesh and blood. List, list,
O, list! If thou didst ever thy dear father love--

Act 1
SCENE 5. Another part of the platform.

どうもこれはヨブ記31である。sin/crime/offenceを区別する理解の仕方もあるがシェイクスピアでは少し柔軟でいいようである。この日本人(私)にとって興味深いのは、ヨブが、嫁さんが不貞を働いてワシ(ヨブ)が神に罰せられても、「しゃあない」と言っていることだ。そりゃ「ワシのcrimeとiniquityやで」と言うとる。「嫁さんの」じゃないんやね。そうすると、

Till the foul crimes done in my days of nature
Are burnt and purged away.

Act 1
SCENE 5. Another part of the platform.

コレの意味がようやくわかるし、ハムレットが、「ワシの妖精ちゃん」と呼んだオフィーリアに、そう言った後でいきなり「切れる」ワケもわかる。「それ(お前の嘘)は(神に誓いを立てた)ワシの罪やで」ってことやな。何という個人主義。「近代的個」のもとは「神との誓い」にあったな。

勘違いする第二の理由が先に挙げたそれを「死生観」でとらえてしまうこと。つまり、①直後の文、②死生観で捉えることが勘違いする理由らしい。
しかし、words! words! words! を我慢して読み進めると、何のことはない。自分も亡霊になって罪を背負うのが嫌らしいとわかる。
すなわち、「死ね、言われたけれど、ワシかて準備できてるかいな?」ということであって、オフィーリアがその一端を担っているのでトリマ安心した、「さすがワシの妖精ちゃん」ということである。

そして、こんな文を日本語に訳しようがないのだ。
したがって、「誤訳」ではない(形容矛盾である)。

そして、誤解のもととなった直後の文は、クダクダしい科白の「さわり(「サワリ」の誤用で、最初の部分。導入部)」であって、言い換え(敷衍)や「サワリ(話の中心。聞かせどころ。或いは、それから転用して、要点)」ではない。


松竹新喜劇の「人情劇」でやったらもう少しわかりやすいんじゃないかね。
漱石の時代は松竹ないから。だから自分でやったんや『吾輩は猫である』。これ落語や。