「チー牛」って言葉を知ったのだけれど、昭和の「体制(政治)」、平成の「文化」で言い訳が利かないくらい、暴力がむき出しになってきたんだね。
特に、「異様な臭いがする」ということなのだけれど、
ここからわかる通り、
- 直近の理由
- 生理機能的な理由
があって、1は生活態度、2は文化環境に影響を受けやすいかもしれない。
つまり、臭いは「生まれ」で差別につながりやすいのだ。
だから、(実際に自分の生活を守る反応であり、まただから排除的で、)極めて深刻なのである。
臭いが侮蔑語と外連味なく結びつけられるくらい、日本は「多様」になったのだろう。
しかし、もうひとつの問題は、その指摘である。
侮蔑対象が発達障碍者であるのは明らかだが、侮蔑主体は、おそらく「底辺」である。
こうなるともはや、発達障碍と認知障害は、暴力性を発揮するかの違いになってしまう(もちろん、そんな単純ではない)。
これが深刻なのは「底辺文化」が波及しやすいからだ。
暴力社会では、暴力意識(攻撃的性向)が刺激されやすいため、「底辺文化」に迎合的な態度を生みやすいと思う。要は、少し悪ぶるくらいじゃないと 安易に 「舐められる」のだ。
余計にあぶない。家主がヤク中や犯罪者の可能性を理解していない https://t.co/HiFMw7WPkk
— May_Roma めいろま 谷本真由美 (@May_Roma) November 1, 2023
こういうのも別に嘲笑するような内容ではないけれど、笑顔を付けるでしょ。
「悪ぶっている」のではないけれど、斜に構えている。それが普通の態度。
めいろまさんのイギリスの通学バスの風景のツイートを載せようとおもったけれど、見つからない。底辺校でなくても日常的な暴力(だから、親の送り迎えが普通)。
欧州に来たのは約40年前だが、元夫は「もし盗難に遭ったら(自分の不注意を)教訓にすればいい」と言った。現夫は「犯人を憎まず自分の不首尾を反省すればいい」と言った。全てが「自己責任」であり「他人を信用するな」である。 https://t.co/cerUDtyyE6
— 霞 (@bolinmculloch) November 1, 2023
日本でもレイプにはそういう態度だったんだけれど、江川紹子などの啓蒙によって、「被害者は悪くない」という運動を通じて潰されてしまった。
正義と教訓を区別できていない。事後の断罪では「遅い」から予期して動くことと。これは盲点なのだけれど、高学歴でも認知の弱い人は居るのです。
日本の田舎も高コストで安全を維持していることを都会の人は知らない。
普通に底辺文化だし(貧困でもないし、高学歴の人も居ても、「生活を回す」とはそういうことではない。)、普通に卑怯ですよ。だから、みんな「優しい」。この意味がわからないなら、田舎には、絶対に関わらない方がイイ。
後で見ようっと。