えっmjd? ちょっと待て待て待て、それは読む (理解できるかわからんけど)。情報ありがとうございます!! https://t.co/PmcZJKYa35
— 谷口一平 A.k.a.hani-an (@Taroupho) January 15, 2024
プライドが高くて、自分の誤りを素直に認められない。
やれやれ。
ツイッター、何でも知っているかたがいるなあ。
— 谷口一平 A.k.a.hani-an (@Taroupho) January 15, 2024
高橋の新書でも触れられてはいなかったかい?
markovproperty.hatenadiary.com
なぜ、自分が期待したかといううと、とくに数学者から「ゲーデルほど誤解されることはない」とつとに指摘されてきたのだが、それはよいとして、しかし、法学から見ると、ゲーデルは、ウィトゲンシュタインの後にあって、ウィトゲンシュタインの理論の席巻は、オックスフォードとケンブリッジに温度差をもたらし、態度の違いを鮮明にさせたからだ。
オックスフォードは、 日常言語学派 なのであった。
ケンブリッジは、ウィトゲンシュタインの理解と咀嚼において、 そうではなかった ようなのである。フレーゲが立ち上げ、ラッセルが継承した論理学派から心理学派への悪口は猖獗を極めた。ウィトゲンシュタインも多くの論争を経験したが、傍若なふるまいに及んだことは有名である。
それはともかく、どこに論争点があって対立していたかに興味を持っている。
また、ウィトゲンシュタインはクリプケンシュタインという革新的追従者を生んだが、この態度は、実は、ヨーロッパの哲学の継承において一般的であるように見える。
デカルトは、アンセルムスを「アンセルムス」にしたし、カントはデカルトを「デカルト」にした。同じように、クリプキはウィトゲンシュタインを「ウィトゲンシュタイン」にした。
同じように、スマリヤンがゲーデルを「ゲーデル」にしたとき、それへの数学者の反応が興味深いのである。彼らはなぜ、スマリヤンを非難しないのか。なんでもいい。「スマリヤンの理論は正しくても、その流布の仕方は誤解を与えるものであって、ゲーデルへの一般的な誤解は、このスマリヤンの説明にある」でも。