沖縄出身で奄美大島育ちの渡久地は、四分の四拍子のリズムのなかに八分の六拍子をアクセントとして加えたブギウギのリズムを基に、手拍子や軽快なヨナ抜き音階など沖縄音楽・カチャーシーの要素と、チンドン屋のリズムの影響を受けた奄美新民謡の要素を織り込みながら曲を書いた[1]。
日本最初のミリオンセラー(ただし、オリコンチャート以降。)は、春日八郎の『お富さん』(1954年)か、村田英雄の『王将』(1961年)かと言われている。
なお、戦後初(オリコンの統計開始以前)のミリオンセラーは、春日八郎の『お富さん』とする説[7]や、村田英雄の『王将』とする説[8][9]などがある。
中山晋平メロディーが日本民謡、古賀政男メロディーが朝鮮民謡、服部良一メロディーがジャズを基調としているのに対し、渡久地メロディーは生まれ育った沖縄・奄美民謡をベースにしているといわれる。
芸能界に若い勢力が台頭していく中、敗戦に打ちひしがれた日本人を力づけようというブギは社会的使命を終えて下火になっていた。詩人の清水哲男は、シズ子とひばりの歌唱を聞き比べて、シズ子の歌唱は開けっ放しの楽天性を誇示しており、戦争から解放された明るさを表現しているが、ひばりの歌唱はその明るさに加えて、何とも言えない哀愁も漂っており、戦後復興から高度成長に至るまでの明るさと暗さを繰り返す国民感情に長く適応することができたと指摘している[289]。
ラジオ放送が開始されたのが、1925年(大正14年)。
テレビ放送が開始されたのが、1953年(昭和28年)。
笠木シヅ子が引退したのは、1957年(昭和32年)。
笠木シヅ子は、1951年(昭和27年)、東京新聞からブギ流行の終焉を指摘された際、「ブギはモダンミュージックの一つとして絶対に残ります」と言ったそうだが、その後、『お富さん』が戦後初のミリオンセラーとなった。『お富さん』がブギであることはあまり知られていない。
結局、春日八郎は、男性だし(つまり、レコードを買ったのは誰か。)、歌が上手いんだよね。
早速受けた東洋音楽学校の試験にも合格
[備考]「もはや戦後ではない」ころの経済状況