「教育勅語の何が問題か」がそれかと。 https://t.co/jBuPTWMXuu pic.twitter.com/uBozwhClMu
— タイド @kポ沼 (@tide40) February 18, 2024
浅はかです。歴史学は万能の学問ではありません。
左翼理論の問題点は、ここでいう「幾何的」であることにつきます。
その意味で、プラトン的であるにせよ、キケロ的であるにせよ—それが名指しされなくても、この二者に代表される考え方は、ヨーロッパの「知的伝統」を通じて、近代化に際して日本にも影響を与えましたが、その戦前の思潮が、明かに限界を持ちます。
問題は、左/右に分ける志向、です。真に有効なのは、戦前/戦後、だからです。
そして、日本の「戦後」が、トリックスターになっていることです。
そのうえで、「教育勅語」は、そもそも主要な起草者の井上毅の本意ではなく、あくまで「幼年時代」の日本にあって(明治デモクラシーの時代)、あくまで「ポスト近世」に過ぎない、近代社会へ移行する最初期の過渡的施策であって、井上はそれに留意するよう付言していたと思いますし、多方に配慮した便宜的なものでありました。彼は実際的な政治家だったのです。
著者の高田は、「ヨーロッパの知的伝統」をシェークスピアで締める。
これが重要なのは、近代の説明になっているからだ。
すなわち、ホッブスである。
法学の理解のひとつの特徴は、「高校生(まで)の理解」と「大学生の理解」が、本質的に異なることだ(大学以降の学問にとって、「高校生(まで)の理解」は語彙のストックを作るためにある。高校生に「理解」などできないという「当たり前」の評価だ)。
「闘争状態」とは、必ずしも理念的な仮定ではない。ホッブスにあっては、「ローマ的状況」そのことである(ローマに 擬 えた)。シェークスピアが示した「多様性」こそが、「闘争状態」である。そして、ホッブスは(或いはシェークスピアも)、自然な属州を超える帝国建設には、キリスト教に権威付けられた、ローマ的多様性を統べる(超越的な)王権が必要だと、イギリスを擁護したのだ。これは幾何的世界観なので、裏からのギリシャの導入と言える。
そして、聖職者の子でありオックスフォードを出たエリートであったホッブスの、この裏からの導入を、庶民的な、言葉の原義に於いてまさにロマン主義の申し子であるルソーが、表から論じたのだ。ルソーには、高度な専門的技能としての学問が足りていないように見える。しかし、みずみずしい。
ウィリアム・シェイクスピア 1564年04月26日 - 1616年04月23日
トマス・ホッブズ 1588年04月05日 - 1679年12月04日
ピューリタン革命または清教徒革命(ピューリタンかくめい/せいきょうとかくめい、英語:Wars of the Three Kingdoms 、直訳:Puritan Revolution)は、狭義には1642年から1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命である。
『リヴァイアサン』(英: Leviathan)は、英国(イングランド王国)の哲学者トマス・ホッブズが1651年に著した政治哲学書。自然状態・自然権・自然法といった概念を基盤として、社会契約が説かれている。
そして、古代法が理解できる教養がなければ、大学以上のレベルで、日本国憲法は理解できない。
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なにより、今でもアメリカでは、ローマを教えている。