なぜ、教養が必要か

浅はかです。歴史学は万能の学問ではありません。

左翼理論の問題点は、ここでいう「幾何的」であることにつきます。

その意味で、プラトン的であるにせよ、キケロ的であるにせよ—それが名指しされなくても、この二者に代表される考え方は、ヨーロッパの「知的伝統」を通じて、近代化に際して日本にも影響を与えましたが、その戦前の思潮が、明かに限界を持ちます。

 


問題は、左/右に分ける志向、です。真に有効なのは、戦前/戦後、だからです。
そして、日本の「戦後」が、トリックスターになっていることです。

そのうえで、「教育勅語」は、そもそも主要な起草者の井上毅の本意ではなく、あくまで「幼年時代」の日本にあって(明治デモクラシーの時代)、あくまで「ポスト近世」に過ぎない、近代社会へ移行する最初期の過渡的施策であって、井上はそれに留意するよう付言していたと思いますし、多方に配慮した便宜的なものでありました。彼は実際的な政治家だったのです。


著者の高田は、「ヨーロッパの知的伝統」をシェークスピアで締める。

これが重要なのは、近代の説明になっているからだ。
すなわち、ホッブスである。

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法学の理解のひとつの特徴は、「高校生(まで)の理解」と「大学生の理解」が、本質的に異なることだ(大学以降の学問にとって、「高校生(まで)の理解」は語彙のストックを作るためにある。高校生に「理解」などできないという「当たり前」の評価だ)。

「闘争状態」とは、必ずしも理念的な仮定ではない。ホッブスにあっては、「ローマ的状況」そのことである(ローマに なぞら えた)。シェークスピアが示した「多様性」こそが、「闘争状態」である。そして、ホッブスは(或いはシェークスピアも)、自然な属州を超える帝国建設には、キリスト教に権威付けられた、ローマ的多様性を統べる(超越的な)王権が必要だと、イギリスを擁護したのだ。これは幾何的世界観なので、裏からのギリシャの導入と言える。

そして、聖職者の子でありオックスフォードを出たエリートであったホッブスの、この裏からの導入を、庶民的な、言葉の原義に於いてまさにロマン主義の申し子であるルソーが、表から論じたのだ。ルソーには、高度な専門的技能としての学問が足りていないように見える。しかし、みずみずしい。

ウィリアム・シェイクスピア 1564年04月26日 - 1616年04月23日 
トマス・ホッブズ      1588年04月05日 - 1679年12月04日 

ピューリタン革命または清教徒革命(ピューリタンかくめい/せいきょうとかくめい、英語:Wars of the Three Kingdoms 、直訳:Puritan Revolution)は、狭義には1642年から1649年にかけてイングランドスコットランドアイルランドで起きた内戦・革命である。

清教徒革命 - Wikipedia

リヴァイアサン』(英: Leviathan)は、英国(イングランド王国)の哲学者トマス・ホッブズが1651年に著した政治哲学書。自然状態・自然権自然法といった概念を基盤として、社会契約が説かれている。

リヴァイアサン (ホッブズ) - Wikipedia

そして、古代法が理解できる教養がなければ、大学以上のレベルで、日本国憲法は理解できない。

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なにより、今でもアメリカでは、ローマを教えている。