ジョン・ライドンの哲学

フロイトって近代を作った一人だから、本当は、政治学上の位置づけもあってよくって、

P.18 

一方サーストンはシカゴ大学統計学と心理測定を担当し、心理テストの理論化と態度(attitude)の軽量化、そして観察と測定に関する科学方法論に強い関心を持っていた。

現代政治学の潮流を作ったシカゴ学派は明確にフロイトの影響を受けている一方で(方法論的個人主義)、日本のフロイト受容は、心理学以外で「フロイト」が出てくることがない。これって実は西欧的な意味で、少なくともアメリカ的な意味での教養では、すごく意外な事なのかもしれない。

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マルクスはやはり「元祖オカルト思想」であって、つまり、19世紀科学革命以前の近代的な意味での「幾何的世界観」を統合した実績はあるかもしれない。ホッブスも新たな論理(の二重化)の可能性を示して(一般的な評価よりも)画期的だったが、 とお数学論争に典型的なように、幾何的世界の住人だった。

今日もっとも影響が大きいのは、ある意味意外にも、フッサールのようで、認知心理学の発展と共に、着実に実績を伸ばしている。
フロイトはそれに匹敵するが、やや忘れられがちである。
ニーチェになると、あまりに「ドイツ的」で、カントに始まるドイツの世界思想の貢献は、イスラム神学の影響の払拭にあったから、西欧的世界への貢献はあっただろうが、イスラム神学の影響への恐れがわからないと、理解しづらい。

  • カント: カントは道徳的な原則についての「カテゴリカル imperative(絶対的命令)」を提唱し、行為の普遍的な原則を強調しました。彼の道徳哲学は義務論的な性格を持っています。
  • ニーチェ: ニーチェは道徳に対しては様々な立場をとりましたが、一般には伝統的な道徳観に異議を唱え、個々の意志と創造的な力を重視しました。彼は「善悪の彼岸」で「奴隷道徳」と呼ばれる従来の道徳観に批判的でした。

とまとめると便利だが(ChatGTP3.5)、カントの眼目はデカルト批判にあって、デカルトの実在がカントのカテゴリーに対比されている。デカルトこそ、イスラム的であり、イスラム神学的な意義での「アリストテレス批判」を行った(しかし、一方で、スーフィズムへ向かうのではなく)ソクラテス主義(的方法的ストア主義)者であった(だから、サクラメント的な  を批判する新しい論理学者でもあった。  はデカルトに依って「」になったし—  は論証したのではなく秘跡的な を述べただけであるところ、デカルトに依ってそれが「論証」と呼ばれることと成った—、デカルトはカントに依って「デカルト」になった—デカルトの神の存在証明は字義通り存在を証明するものではなく、要は、伝統的な無限論の範疇にあって、実在を述べただけであるが、カントによって「存在証明」とされた—)。

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私の希望のひとつに、

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『フランシス・ソヴァ―ル』が『グレート・ギャツビー』の元ネタであることを明らかにすることがあるが。ここに、エピクロス(『フランシス・ソヴァ―ル』)と心理学(『グレート・ギャツビー』)が出てくる。

日本の『山月記』教育の場合、「戦後」が「悔恨共同体」(丸山政男)の中での理想的な戦前のやり直しであったとき、増淵のルーツにあったのは戦前の師範学校による「八大教育思想」で、彼はこれを踏まえて科学的合理主義と合理的主体を目指した(これに対抗して、荒木は、社会主義民族主義の教育を、古典を題材に行おうとした)。

「国民教材」を使って外見上は似て見える「個人」を彫琢する教育を行おうとするのだが、随分と趣きが異なっている。フロイトを踏まえるか踏まえないかのようだ(日本の場合、「心のノート」の指導があるなど、河合隼夫によって、ユングの影響が別にある)。

 

以下、ChatGTPとのやりとり(エピクロス主義とエピクトテス主義の比較とそれぞれのローマと教会への影響を見る。こうして、プラトンアリストテレスの重用と、それに抗した近代の側面も浮き彫りになる。マルクスニーチェは明らかにこの文脈にある)。