ジョン・ライドンの哲学

 

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ジョン・ライドンのことは本当に好きで、

彼は哲学者なのだが、ジョンは「彼の音楽哲学を持っている」のでは決してない。

ジョンが「「パンク」はセックス・ピストルズ登録商標だ」といった内容のことを言うとき、

  1. 〈俺〉がではなく
  2. 「パンク」が「唯一無二」であることの説明になっている

に特徴がある。これこそがまさにデカルト 、、、、、、、、、、、、 なのだ。
「我 思う ゆえに 我 あり」とは実在論で実は「我 思う 即 我 あり」の方がニュアンスを正確に捉えていると思うのであるが、〈我〉(という実在に関して)に関して{思う}と{あり}の実在が同様であることを述べている。このとき、心身二元論は〈我〉と通して一元へ向かうのであり(この、内部に経緯を持つ 、、、、、 心身一元論がデカルトの主旨であって、心身二元論はその前段の説明に過ぎない。彼はキリスト教徒なのであって、近代人ではない。この痕跡を消してきた啓蒙主義者の人道的な罪は重い。)、彼は神によって被造物は表現型を持つことを言ったに過ぎない。そして、それは、神のなさることであるから明晰なのだ(というのが、彼の主張、彼の、キリスト教における自由意志論である)。

「セックスピストルズ〈は〉{パンク}である 即 セックス・ピストルズ〈は〉{唯一無二}である」というとき、{パンク}の実在と{唯一無二}の実在が同様である、との主張である。

したがって、(ジョン・ライドンにとって)セックス・ピストルズ以外にパンクなど実在しないのであった。

そして、デカルトの言った所謂「コギト」も、まさにこういった内容なのであった。
ただし、ジョン・ライドンキリスト教に擁護者ではない。デカルトと異なり、近代人である。だから、パンクは政治的主張ではなく、音楽的主張なのだ。

セックス・ピストルズコミュニストの格好をしたのは、マルコム・マクラーレンによる販促に過ぎない。ジョンはそのような幾何的世界観の持ち主ではない。

まことに痛快な主張の人物である。


イギリスはルイス・キャロルジョン・ライドンを生んだ。まことに素晴らしいことだった。

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科学的実在論はあるのだろうか?

私が知りたいのは、

高橋が指摘した、「我 思う ゆえに 我 あり」とデカルトが言ったときに依拠した実在論である。

構造的実在論エーテルを構造的実在とみなす立場)なら、指摘されていなかったが、アインシュタインが採った立場でなかったか。