要は二元論であって、排他的な自己操作に係る要素と排他的な自己操作に係らない要素の二元論を考えた時に、自己を排他的な操作の対象とみなした外観を自己の所有と呼ぶなら、自己の全部の所有を前提とし、そのようにして観念される個人を単位として社会形成を志向するのが社会的結合主義で、一方、自己の部分的な所有を前提とするのが、社会的統合主義ではないか、と思う。
不穏な人間を考えた場合、自己に闇を抱えるのであるから、社会的統合主義に連なるのであるが、闇が誰にとっても闇であるために、不穏なのである。闇が自己にとって闇であるならば、村上春樹で、だから顕在化したシステムとの間で悶々と悩むこととなる。村上春樹を軽侮するのは或る保守主義者で、要は、社会的結合主義者であり、相互主義者であり、取引の公平と正義が旗印である。
何が言いたいか。
コンビニ人間の☆一つのレビューを読むことが楽しくて、一つ一つ吟味していたところ、太宰治の『斜陽』が「初心者向け」の好著ということで、読むことが薦められていたのである。彼らがどのような観念に浸っているかを知るには都合がよく、☆一つのレビューは読むほどに滋味が広がるのである。
日本大好きポスターの件ときに、中動態から、兆しの物語性について考えたことがあるが、そういうことなのである。太宰の『斜陽』と川端の『雪国』は冒頭文が同じである。
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽 かな叫び声をお挙げになった。
太宰治『斜陽』
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。
川端康成『雪国』
ちなみに、鉄道もの、ということで、『三四郎』の冒頭文はこうである。
うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。
夏目漱石『三四郎』
ちなみに、👇は、『小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の小説で有名な雪女の伝説を、田中貢太郎らしい簡潔な文体で再話。』(青空文庫)
多摩川たまがわ縁べりになった調布ちょうふの在に、巳之吉みのきちという若い木樵きこりがいた。その巳之吉は、毎日木樵頭さきやまの茂作もさくに伴つれられて、多摩川の渡船わたしを渡り、二里ばかり離れた森へ仕事に通っていた。
ある冬の日のことだった。平生いつものように二人で森の中へ往って仕事をしていると、俄に雪が降りだして、それが大吹雪になった。二人はしかたなしに仕事を止やめて帰って来たが、渡頭わたしへ来てみると、渡船わたしはもう止まって、船は向う岸へつないであった。
二人はどうにもならないので、河原の船頭小屋へ入った。船頭小屋には火もなく、二畳ほどの板敷があるばかりであった。
二人はその板敷の上へ蓑みのを着て横になったが、昼間の疲れがあるのですぐ眠ってしまった。
そのうち巳之吉は、寒いので目をさました。小屋の戸が開け放しになっていて雪がさかんに舞いこんでいた。
田中 貢太郎 『雪女』
太宰の没落貴族を大衆消費者に置き換えたのが、岡崎京子だったりする。
スプーンと嚥下の描写が印象的である。嘔吐が太宰と反転的である。
吉本ばななが違和感を持つのもわからんでもない。古典の再構成と言えば、そうであり、現代的(当時)視点である。村上春樹より視点が良いと感じるのは、再帰性を導入しているからだろうと思う(というか、ジュブナイル小説のように、対象として排除していたことを、自己との関係において再帰的に捉え、受け入れるようになるー代わりに言葉を失う)。その手法において非「リベラル」であり、保守的である。保守的とは、近代的でもあることを、あらためて考える。
あぁ、吉本は、神秘主義者なのか。「こころ」を自己のものとして内に封じ込めるのは、受け入れにくいのだろうか。神秘主義には、超越性への志向があるから。
近代小説はもはや、岡崎以前、岡崎以降に分かれるのではないか、と激賞せずにいられないのであるが、本谷なんかは、「岡崎の直系」と言ってよいような雰囲気であったところ、結婚後は、「岡崎後」を模索しているようでもある。
川端に戻ると。雪国 (小説) - Wikipedia
国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなつた。
初出誌版の「夕景色の鏡」での冒頭文
鈴木牧之 - Wikipedia
『火花』にいろいろな作家の影響を探すことはできるかもしれない。
「あ」という音、「白」という色の対比を考えると、小説の始まりの否が応でも突発的なことについて考えさせられるが、枕草子、暗夜行路を見ると、書き出しということでもなし。
川端は「ドメスティックな小説」と呼んで、ノーベル賞受賞に関する意外の意を表明したが、その本心はどこにあったかについて、訝る筋もある。
その「ドメスティック」であるところをスピンさせる必要はないと思う。
「国境」の読みを、コッキョウとするか、クニザカイとするかの論争があるらしい。川端の真意は知らないが、コッキョウであって欲しい、と思う。というのは、どうにも芝居或いは時代がかったこの小説も、体裁としては、近代小説を目指していたであろうからである。
いや、 そもそも近代以前には、それをコッキョウと呼んでいたのか、クニザカイと呼んでいたのか。胡乱な頭で猛進すると、陥穽に嵌ることは、良くある話である。
幕が上がるとは、誰の発明だったのだろう。時間が来ると、なんとなく始まる、では駄目だったのだろうか。宴会ならば酔いが回るにつれ勝手に歌い出すのがいるのが昭和の風景だったが、祝祭と宴会は違うというのか。ギリシャの劇場にも清水の舞台にも幕はない。
自分は「宮台世代」なので、一方で、こういうのを思い出す。
👇オペラ(カトリック)とコンサート(プロテスタント)
ワーグナー&ニーチェ問題に対する更なる社会学的分析です。miyadai.com
ただ、犬だって、伊勢参りを切望する理由のあった時代のことであるから、言葉が過ぎると、犬に笑われるかもしれない。
ゲーテも旅をするが、犬も旅をする。
まぁ、「開けゴマ - Wikipedia」でも、これだけ言えるのだから。
天岩戸 - Wikipedia