ちなみに、私は、文系で、この問題を見るのは3回目ですけれど、間違えたことはありません。

難しいと感じた人は、4枚の裏を2通りずつすべて考えて消してゆけばよいよ。
そのうえで、対偶がちゃんと成立する意味を考えればよい。
論理というのは、どれだけ手間を惜しまないかであって、手続きの正しさを信じる態度が求められます。
難しいと感じた大抵の人はおそらく、「漏れなく、重複することなく」挙げられた場合の数を総覧する手間を惜しんで、いっしょくたにして考えている"だけ"なのです。
悩む時間が在れば、その程度の手間にかかる時間は、大したことはないのです。
頭が良いことをためしているわけでもないし(頭の良しあしはまったく関係がありません。)、理系文系も本来は関係ありません。
敢えて創造するなら、理系の肩は、「没頭する」ことに慣れているだけです。

ここで挙げた考えかたについては、それが「正しい考え方」ということではなくて、正しい考え方にいきなり到達はできないので、迂回しても"たいしたことはないよ"ということです。迂回することを恥ずかしいと思ったり、間違っていると思って躊躇する必要がない、ということです。そうやって迂回することで、正しいことが"実感できる"ことを目指しているのです。
それが「慣れていない」ことの正体だからです。


『ルールが成立している』ことを調べるのであるから、反例を探すことがもとめられているのです。何が反例になるのかは、条件文に依存します。
このとき、Aの裏が奇数ならば、反例ですから、一番左のカードについては確かめなければなりません。
そうやって、順次考えてゆけばよいのです。


文系の学問、私の知っている法学に関して言えば。
論理がわからないと、本当は、わからないと思います。
たとえば、「反対効果」はなぜ、法文中にそれを直接指示する文言がないのに、認められるのか。あるいは、身近な例では、選挙年齢と選挙日の関係について、誕生日が翌日なのに、なぜ、投票できるのか。
ただしく論理の問題なのです。

でも、問題があるとすれば、論理学を直接学ばないのです。
本来は論理(学)の問題なんだけれど、そういうものとしては、教えない。
勝手にわかってね、ということであるから、学生の中にはなんとなく覚えて済ます人がいるのかもしれない。