空気が「在る」ことの証明(空気の存在論)
1⃣ 空気は「切れる」かーパスカルの実験(真空の歴史)
2⃣ 空気は「生める」かーパスツールの実験(自然発生の歴史)
3⃣ 空気は「消える」かーファラデーの実験(燃素の歴史)
〈検討〉
「対照実験」を形式言語化して理解するとどうなるだろう。
各歴史の実験の変遷を論理上に展開される選択肢の取得から考える(つまり、実験手続きと記述手続きの互換性を考えるー未熟な実験の数々が論理的に可能な選択肢として現れたことを理解する)。
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自分は、アリストテレスの「空気は真空を嫌う」をパスカルが「『真空の中の真空』実験」で覆すところが好きだけれど。
カネの尺度化も「尺度の中の尺度」であって。
所有の類推から※、内包による再帰化こそがヒトの言葉である。
『言語はコミュニケーションのために進化したのではない』
カネはコミュニケーションのために進化したのではない。コミュニケーションに於いて進化したのである
※イギリス法の伝統がまさにこれである。ブラッグストン。だから奴隷乃至女性が問題となる。
奴隷乃至女性問題とは、所有にある内包関係の帰結としての包括的支配に係ることである。今は雇用契約がそれである。奴隷化していないとは、「関係の離脱の自由」と「対抗要件の具備」を併せ持つことである。前者は雇用の流動化、後者はパワハラ法制であり、労働法制とセクハラ法制はその過渡的存在である。ゆえに、ここで謂う「雇用の流動化」は労働法制、セクハラ法制以前の話ではない(これは「セックスワーカー」の問題がこじれる原因でもある。「以前」と置くと女性の人権を侵害して「許されない」となるし、「以後」と置くと女性の権利を護って乃至実現して「許される」となる。だから、所謂「リベラル」には理解できない。彼らの伝統体な宗教信念体系に相容れないからである)。