オールドリベラルの限界                           『虎に翼』から抜け落ちた公権/人権論

女性の権利は、なぜ、日本の上杉慎吉によって、唯一、革命的に進展したのか。

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天皇機関説は、

  1. 国家主権説
  2. 国家法人説

を敢えて混同することで、天皇主権説との対立を避けた議論展開であって(「天皇機関説天皇主権説」はそもそも議論が成立しない。)、意味不明なものに聞こえる。

これは、近代主義

  1. 近代国家主義
  2. 近代普遍主義

の両面を持つからで、それは、近世社会の後を受けた「ポストキリスト教社会」であるためである(それをして「遺産を受け継いでいる」と謂う)。

このとき、近代国家成立には、

  1. 社会進化論
  2. 歴史法学

が技術的には必要であった。すなわち、神に替わって「社会」自身が「善の器」となることが要請されたのである。このとき、人々は、善の実現のために、神を直接必要とせずに済むようになった次第である(前段に、宇宙に普遍的に実在する理神論が起こったー神は社会にも普遍的に実在する)。

 

自由に関して言えば、最初の人類であるアダムは完全な自由であったが、それは生存に関する自由であって、「近代的自由」ではなかった。「近代的自由」は、ホッブスの想定にあるリヴァイアサンである。それはローマ的自由=部族的自由(拡大された生存的自由)と区別される。

これを踏まえてテキストを読むと、公権の言わんとすることが朧気ながら見えてくる。
近代国家とはローマ帝国ではないのであった。

東京帝国大学法科[注 4]に学び、美濃部達吉および吉野作造に師事[4]

中島重 - Wikipedia

著者の中島は当時に在って、もっともリベラルであったと言えるかもしれない。
しかし、それでもなお、「公権主義者」であった。

そのことに注意が要る。


上杉は、イェリネックに学んだ大陸合理主義に立つことで、イギリス経験論には見当たらない「男女平等」を、公権として、革命的に主張できたのである。

上杉の師はもちろん、穂積八束で、穂積重遠の叔父である。穂積重遠の父が穂積八束の兄穂積陳重で、社会進化論を日本に紹介した法学者である。
穂積八束が「民法出でて忠孝滅ぶ」と言ったのは、確かに士族出身ゆえの「忠孝」という文化的レトリックであるが、彼らがフランス民法と心中するつもりでなかったことを踏まえれば※、そんなに簡単な話ではない。上杉の終生の師であった穂積八束はドイツ法学の泰斗であった。

※『虎に翼』でいう「旧民法」はどれを言うのか。ヨーロッパの模倣であった民法のことか。第二憲法と言われる民法の制定は、大日本国憲法制定以上の熱を帯びたのであり(憲法制定よりむしろ国会開設の方が熱心でなかったか。日本の明治革命は、参政権をめぐる、美濃部ような貧乏庶民を旗本にする「旗本(化;サムライ化)革命」であった。これが「革命でない」とは端的にプロパガンダである。)、民法典論争から始めないとよくわからないのであった。

 

史上名高い穂積重遠の著作。

離婚制度の研究, 穂積重遠 著, 大正13 - 国立国会図書館デジタルコレクション

戦争ト契約, 穂積重遠 著, 大正5 - 国立国会図書館デジタルコレクション

『離婚制度の研究』が『虎に翼』の前半のテーマである「男女同権」にかかっており、『戦争ト契約』がおそらく後半のクライマックスと成る「原爆の国際法違反」にかかってくる。

預り金とは

預り金とは|勘定科目の意味と仕訳|freee税理士検索

流動負債勘定 内容
支払手形 営業上の買掛債務の支払いのために振り出した約束手形や、引き受けた為替手形
買掛金 原材料や商品を購入することによって生じた仕入先に対する債務
前受金 商品、製品の販売代金の前受けした金額
短期借受金 銀行から借り入れた設備資金、運転資金や個人からの借入金、取引先からの借入金などのうち、1年以内に返済予定のもの
未払金 主な営業取引から生じる債務である買掛金以外の固定資産の購入代金や、有価証券の購入代金の未払額
未払法人税 法人税道府県民税、事業税、市町村民税の未払額
借受金 原因不明の入金や最終金額が確定していない入金
預り金 報酬、給与から差し引いた源泉所得税、住民税など
営業上生じた短期の預り保証金
未払費用 賃金、給料、利息、賃借料の支払期日到来前の未払額
前受収益 地代、家賃、利息などの前受金額
賞与引当金 次期になって支払う予定の賞与の当期負担の見積額

 

熱伝導の異方性と熱を運ぶ粒子の「フォノン」の指向性

へー。

テスラバルブみたいだねぇ。

 

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テスラバルブって唐草模様みたいだもんねぇ。

 

カントとフランス人

 

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ブラウワーはポアンカレに影響を受けたらしくて

これを読むと、カントが深く関係している。

おもしろいところでは、アインシュタインポアンカレに影響を受けたのではないか、ということで、「奇跡の年」の前年にポアンカレの論文というか檄文を読んで、熱に浮かされるような雰囲気だったという。ポアンカレはそこで「絶対時間は存在しない」と明言した。

ポアンカレのキーワードは「規約」である。「規約」に真偽は成立しないとポアンカレは言う。そして、「幾何学の公理は規約」と言う。

確率論についても「規約」を持ち出しが、それについては、

比較すると興味ぶかい。

ポアンカレブルバキから見たら、どういう評価と解釈に成るのか興味深い。


訳者プロフィール

www.msz.co.jp

ポアンカレは本書の読者に暗黙の前提を置いているのだ.アインシュタインと友人たちはその前提条件を満たしていた.しかし、訳者が本書を読んで欲しいと願っている日本の若い読者たちは,学校教育でカントの哲学を学んでいない(と思う).

P.305,暗黙の前提,訳者による解説とあとがき,『科学と仮説』

言われてますよ。

実は、アインシュタイン自身は、何と言っていたか。
神だけ、、、 に言及していたのか?

ですから、二つの質点のあらゆる可能な位置は六次元の連続体を形づくるわけで、一つの質点の場合におけるような三次元のものではありません。そこで再び一階だけ昇って、量子物理学に来ますと、やはり六次元連続体のなかでの確率波を得るので、一つの粒子の場合におけるような三次元連続体のなかでのそれではありません。それで同様に、三、四、及びそれ以上の粒子に対しては、確率波は九、十二、及びそれ以上の次元をもつ連続体における函数になるわけです。
 この事は明らかに、確率波なるものが、私たちの三次元空間のなかに存在しかつ広がっている電磁波や万有引力の場に比べて遥かに抽象的であることを示しています。つまり多次元の連続波が確率波の背景となっているので、粒子がひとつしかない場合だけに、その次元の数が物理空間の次元数に等しくなるのです。それで、確率波の唯一の物理的意味は、一つ並びに沢山の粒子の場合にそれによって私たちが関知し得る統計的疑問に答えられるということであります。このようにして、例えば、一つの電子に対して、ある特殊な場所でこれに出遇うという確率を尋ねることができるのでした。また二つの粒子に対しては、与えられた時刻に二つの一定の場所で、この二つの粒子に出偶う確率がどれ程であるかということを、問題とすることができるのでした。

(略)

—PP.184-185,確率波,Ⅳ量子,『物理学はいかに創られたか』

科学はまさに法則の集積でもなければ、まとまりのない事実のカタログでもありません。それは人間精神のひとつの創造物であって、それが自由に発明した思想や観念うぃ含んでいます。物理学の理論は実在の一つの形像を形づくって、それと感覚的印象の広い世界との連関を確立しようとしています。

(略)

量子論は再び私たちの新しいかつ本質的な性質を創造しました。連続性の代わりに、それが不連続で置き換えられました。個々の物を支配する法則の代わりに確率の法則が現れました。

(略)

光は波でしょうか、または光子の驟雨でしょうか。電子線は素粒子の驟雨でしょうか、または波でしょうか。これらの根本的疑問が実験によって物理学の上に解決を強要します。これらに答えようとするのには、私たちは空間及び時間における出来事として原子の現象を記述することを見捨てなければなりません。そして私たちは古い力学的見解からなお一層後退しなければなりません。量子力学は個々のものではなく、集群を支配する法則を形づくってゆきます。性質ではなく、確率が記述され、体系の将来を明らかにする法則ではなく、確率の時間による変化を支配し、従って個々のものの大きな集合に関する法則が立てられます。

—PP.189-194,物理学と実在,Ⅳ量子,『物理学はいかに創られたか』

これは、アインシュタインも存命中であった昭和14年(1939年)10月、アインシュタインの来日公演(1922年)で通訳を任された石原純に翻訳されたもので、「訳者序文」に日付があるが、原著がいつ書かれたかは定かではない。石原は留学中にアインシュタインに学んだこともあった。

石原純 - Wikipedia

神はサイコロを振らない」と言うときの私たちの俗説(的理解)がいかにどうでもよいかがわかるかもしれない。
序文でアインシュタインは「物理学並びに哲学的思想に興味を抱く人々を望む」と明言している。この哲学は(かつて哲学=アリストテレスであったように、)カントのことであると思う。

そして、実のところ、アインシュタインの最大のライバルであったフォン・ノイマンは、『数学者』でこれに応えていると思う(それには数学基礎論ヒルベルト・プログラムを知らなければならないが、それ以前に、カントとカント・プログラムを知らなければならない)。

彼らの会話はこのようにして為されるのだ。

私たちは意外なほど読めていないのかもしれない。

 

カントを知る入口によいかもしれない。

この本棄てなければよかった。今ならもう少し読めるかもしれない。

要は、ルソーを思わせる独学の主人公2人が—「市民」的側面を代表する大人と「庶民」的側面を代表する子どもに分化している—、カントとフッサールを腐して、オズ(現代的なジャポニズムの代表)が、いかにもフランス的なタフと皮肉を見せる。

つまり、大陸的とは隣国に容易に屈しないことであるが(カントとフッサールがドイツ人であることが意外に見落とされている※。ここらへんが日本の世界観の限界である。)、地中海から世界に通じていたフランスには「異世界」への憧憬がある(それはジャポニズムとして何度も繰り替えされたがそればかりではない☞『フランシス・ソヴァール』)。

※ただし、カントは、プロイセン王国フッサールは、オーストリア王国出身ということ。

カントの直観が、得体のしれない緑色のグミにたとえられている。

すなわち、ソール・クリプキの「グルー」も、「シュレーディンガーの猫」も、欧米知識人には、「おなじみの比喩」なのだ。


(『クリプキ ことばは意味をもてるか』より)

私たち素人は、意外に、こういうことを知らない。それは「カント」なのだ(カントはヒュームの影響を受けた)。よく懐疑論で採り上げられるが、実のところ、「人間を原器」とするか「実在を原器」とするかが本性論として語られている(私たちの一般の理解では、そもそも、カントがそうしたような、「実在」と「存在」と「単一」と「実体」の区別がつかないーそこでは本質や本性、或いは偶有性も語られるのであるが、これがわからないとは、つまりはギリシャ数学がわからないので、実は、数学史もよくわからないのだ。これはゼロの意味や極限概念に関わる)。

  1. 人間の本性
  2. 概念の論理的本性
  3. その本性に従うところの必然的

で謂う、「その」とは、「世界」のことだろう。ヒュームはデカルトとカントを繋いだその哲学に意義があった。こうしてフッサールがカントとともに腐される意味がわかるのである。オズがそのような「人間原器」の認識論を採らない態度を示すためだ。
著者はフランス人である。
合理主義者ゆえに、世界主義、明晰主義、実在主義に立ちがちなのではないか?と思う。論敵は「ドイツ人」である。デカルト近代人ではなかった、、、、、、、、、 ことの意味合いがある。ルソーは、多様な側面を持った「デカルト」のうち、「文芸的デカルト」を受け継いだ者である※。

デカルトは、国民的作家であったゲス・ド・バルザック(有名なオノレ・ド・バルザックではない。)に強い影響を受けた。

KAKEN — 研究課題をさがす | デカルトとレトリック (KAKENHI-PROJECT-04J01623)

従来、「雄弁」ジャンルにふさわしいとされた哲学・政治・宗教に関わる「高尚な」主題を、日常的話題に限定すべきとされる「書簡」ジャンルにもちこみ、加えて、本来「卑俗」とされるこの書簡ジャンルにおいて、それにふさわしからぬ「崇高な文体」をあえて用いることの是非が問われたのである。

また、

博識と規則の遵守をもってよしとする当時の散文作法を「偽の雄弁」と断罪するバルザックは、人間個人に具わる「自然の理性」をもってすべてを再審に付し、古代ローマ黄金期のキケロの文体に倣いつつそれを凌駕することを目指しながら、母語である「フランス語」でもって「自己」を探究し「自己」を表現しきることに「真の雄弁」の原理を見出す。

にやりとする。19世紀ドイツ=「ギリシャ病」罹患者だからである。
なお、グラスの比喩も『優雅なハリネズミ』で採り上げられている。

markovproperty.hatenadiary.com

シュレーディンガーの猫 - Wikipedia

カントと量子力学が結びつかない?

とんでもない!間に、あのフォン・ノイマンが居る。直観主義ではないが、それに隣接するリーマン、デーデキントらの「概念数学」を引き継いだヒルベルトの直系がフォン・ノイマンである(フォン・ノイマンは、終生ヒルベルトを尊敬し、その学統を正当に引き継ごうとした)。ノイマンがカントに言及するのは、「一般教養」ではない。

フォン・ノイマン講演『数学者』比較をしてみる。これは、ゲーデルによるヒルベルト・プログラムの否定が、ノイマン(が経験主義を採用したこと)によるカント・プログラム(数学の完全演繹体系)の否定につながったものであるから、そもそもカントの概念を理解しているかどうかが問われる。

直観主義論理と古典論理の技術的関係については、

 

 

イデアを再注入すること—であるように思います.これが分野の新鮮さをと活気を維持するための必要条件であり,将来においても等しく真実であり続けると私は確信しています.」

以外に盲点かもしれない「論理体系としての『原論』」

物理学の公理化—何のためにするのか

www.nippyo.co.jp

 

 

ブギとミリオンセラー                             「もはや戦後ではない」(1956年7月)ころのブギと演歌

沖縄出身で奄美大島育ちの渡久地は、四分の四拍子のリズムのなかに八分の六拍子をアクセントとして加えたブギウギのリズムを基に、手拍子や軽快なヨナ抜き音階など沖縄音楽・カチャーシーの要素と、チンドン屋のリズムの影響を受けた奄美新民謡の要素を織り込みながら曲を書いた[1]

お富さん - Wikipedia

日本最初のミリオンセラー(ただし、オリコンチャート以降。)は、春日八郎の『お富さん』(1954年)か、村田英雄の『王将』(1961年)かと言われている。

なお、戦後初(オリコンの統計開始以前)のミリオンセラーは、春日八郎の『お富さん』とする説[7]や、村田英雄の『王将』とする説[8][9]などがある。

ミリオンセラー - Wikipedia

中山晋平メロディーが日本民謡古賀政男メロディーが朝鮮民謡、服部良一メロディーがジャズを基調としているのに対し、渡久地メロディーは生まれ育った沖縄・奄美民謡をベースにしているといわれる。

渡久地政信 - Wikipedia

芸能界に若い勢力が台頭していく中、敗戦に打ちひしがれた日本人を力づけようというブギは社会的使命を終えて下火になっていた。詩人の清水哲男は、シズ子とひばりの歌唱を聞き比べて、シズ子の歌唱は開けっ放しの楽天性を誇示しており、戦争から解放された明るさを表現しているが、ひばりの歌唱はその明るさに加えて、何とも言えない哀愁も漂っており、戦後復興から高度成長に至るまでの明るさと暗さを繰り返す国民感情に長く適応することができたと指摘している[289]

笠置シヅ子 - Wikipedia

ラジオ放送が開始されたのが、1925年(大正14年)。
テレビ放送が開始されたのが、1953年(昭和28年)。
笠木シヅ子が引退したのは、1957年(昭和32年)。

www.musicman.co.jp


笠木シヅ子は、1951年(昭和27年)、東京新聞からブギ流行の終焉を指摘された際、「ブギはモダンミュージックの一つとして絶対に残ります」と言ったそうだが、その後、『お富さん』が戦後初のミリオンセラーとなった。『お富さん』がブギであることはあまり知られていない。


www.youtube.com


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結局、春日八郎は、男性だし(つまり、レコードを買ったのは誰か。)、歌が上手いんだよね。

早速受けた東洋音楽学校の試験にも合格

春日八郎 - Wikipedia

[備考]「もはや戦後ではない」ころの経済状況