女性の権利は、なぜ、日本の上杉慎吉によって、唯一、革命的に進展したのか。
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天皇機関説は、
- 国家主権説
- 国家法人説
を敢えて混同することで、天皇主権説との対立を避けた議論展開であって(「天皇機関説対天皇主権説」はそもそも議論が成立しない。)、意味不明なものに聞こえる。
これは、近代主義が
- 近代国家主義
- 近代普遍主義
の両面を持つからで、それは、近世社会の後を受けた「ポストキリスト教社会」であるためである(それをして「遺産を受け継いでいる」と謂う)。
このとき、近代国家成立には、
- 社会進化論
- 歴史法学
が技術的には必要であった。すなわち、神に替わって「社会」自身が「善の器」となることが要請されたのである。このとき、人々は、善の実現のために、神を直接必要とせずに済むようになった次第である(前段に、宇宙に普遍的に実在する理神論が起こったー神は社会にも普遍的に実在する)。
自由に関して言えば、最初の人類であるアダムは完全な自由であったが、それは生存に関する自由であって、「近代的自由」ではなかった。「近代的自由」は、ホッブスの想定にあるリヴァイアサンである。それはローマ的自由=部族的自由(拡大された生存的自由)と区別される。
これを踏まえてテキストを読むと、公権の言わんとすることが朧気ながら見えてくる。
近代国家とはローマ帝国ではないのであった。
著者の中島は当時に在って、もっともリベラルであったと言えるかもしれない。
しかし、それでもなお、「公権主義者」であった。
そのことに注意が要る。
上杉は、イェリネックに学んだ大陸合理主義に立つことで、イギリス経験論には見当たらない「男女平等」を、公権として、革命的に主張できたのである。
上杉の師はもちろん、穂積八束で、穂積重遠の叔父である。穂積重遠の父が穂積八束の兄穂積陳重で、社会進化論を日本に紹介した法学者である。
穂積八束が「民法出でて忠孝滅ぶ」と言ったのは、確かに士族出身ゆえの「忠孝」という文化的レトリックであるが、彼らがフランス民法と心中するつもりでなかったことを踏まえれば※、そんなに簡単な話ではない。上杉の終生の師であった穂積八束はドイツ法学の泰斗であった。
※『虎に翼』でいう「旧民法」はどれを言うのか。ヨーロッパの模倣であった民法のことか。第二憲法と言われる民法の制定は、大日本国憲法制定以上の熱を帯びたのであり(憲法制定よりむしろ国会開設の方が熱心でなかったか。日本の明治革命は、参政権をめぐる、美濃部ような貧乏庶民を旗本にする「旗本(化;サムライ化)革命」であった。これが「革命でない」とは端的にプロパガンダである。)、民法典論争から始めないとよくわからないのであった。
史上名高い穂積重遠の著作。
離婚制度の研究, 穂積重遠 著, 大正13 - 国立国会図書館デジタルコレクション
戦争ト契約, 穂積重遠 著, 大正5 - 国立国会図書館デジタルコレクション
『離婚制度の研究』が『虎に翼』の前半のテーマである「男女同権」にかかっており、『戦争ト契約』がおそらく後半のクライマックスと成る「原爆の国際法違反」にかかってくる。