統合的知性の問題と物語の力

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5人家族なんだから、なんでもいいから「5個」買ってくるんだよ。
あとはじゃんけんだ。

【分析的/統合的】
物語=帰納的誤謬≒外挿的再構成(内部で不可能なことを、追加事実を外挿して再構成し、最初からそうであったこととして、帰結を推論する)=統合的知性
また一方で、これはそのようにして、社会性の問題でもある。

かくいう私も(知能云々はともかく)そういうことを言う子どもだったのだけれど、エジソンの「1+1=1」は、内部量の取り方の問題で(例えば、として、体積は(足し合わせる元の量に比較して)2倍になる、ことを想定していたので)、それはおかしいと同じ時期(幼稚園~小1)に思っていた※1※2

で、偏屈を言いたいのではなくて、今から思うと、上記の「再構成」する能力もまた、数学の能力として必要なんだよね、と思っているということ。

※1)みかんとりんごの足し算と泥団子の足し算は、まったく関係ないことではなく、むしろ「同じこと」の裏返しだから(「裏返し」なので、答えが「逆」になる。)、もう少し言うと。
「体積」ととりあえず言ったけれど、もう少し考えていて、泥団子の可塑性を考えると、「同一密度」という条件が必要ということにも気づいた※3。つまり、足し算とは、条件に依存する算術であり、同一条件の加法性を持つものに対して単位が成立することに気付いたってことで、りんごとみかんは、それらが「同一条件にあること」が明示されていないから"おいそれと""(自分で)勝手に"足し合わせることができない(だって、条件を提示するのは「相手方」だから。)、と考えたんだよ。周囲が思っている以上に、それなりに頭絞って、考えているわけ。
(頭の中のイメージでどんな大きなものもどんな小さなものも想像できるから、可塑性と密度に気付いたんだけれどね。だけれど逆に、見えていない物語を許諾を得ていないのに勝手に考えることができなかった、或いは、拒絶したので、そういうことになったんだね)

※2)このときむしろ興味深いのは、周囲の大人の反応で、これも「みかんとりんごの足し算」の裏返しで、「1+1=1」の意味を理解できない子、暗黙の了解の理解できない子と見られるんだよね。困った顔をされるんだよそこに新たなステレオタイプ、新たな常識があるんだよ。で、そこから外れる困った子、常識を理解しない子となるわけ。でもお前の「足し算の定義」を言ってみろ、「1+1=1」でも良いのだけれどそれが「足し算」である限り定義に依存しているはずだ、という話で。
なんでもそうなんだけれど、「ちゃんと言えばよいだけ」なんだよ。算数の問題に関して、隠すのはOUTなの。ちゃんとした問題をつくられない大人の学力の問題が実はあるの、なぜかというと、論理を学ばないから。共感社会の落とし穴がここにあて、ルールを正しく設定できないんだよ。でもそれは民主主義に反する。

 👇なぜ彼女やアインシュタインが、数学と民主主義には関係があると思うのか。
それは「正しい、明示的なルールに従う」ことと関係があるんだ。

数学は世界を変える あなたにとっての現代数学

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だから俺は内田樹のような人間を絶対に許すことができない。間違いなくファシストである。



※3)長じてから知った、アリストテレスの真空問題(真空の存在性の証明)ってあって。アリストテレスは(口だけ残して)完全に密閉した水差しに息を吹きかけることを想定したのだけれど、それは幾分かおかしいと思ったことであって、なぜなら空気は弾性(或いは粘性)を持つのだから、ぎゅっと縮ませることができる、と思ったんだよね。だから、これは(内部に空気を吹き込むのではなく)内部の空気を吸い込む方がよい、と思ったんだけれど、どんな問題だったか。