「要請」行政と「通達」行政

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「要請」と言えば、

ピーク電力需要を抑制するための政策とその効果検証

 

であるが、これを考えるには
地方分権推一括法と政府の政策決定過程における政治主導の確立のための.内閣法等の一部を改正する法律を考えなければならない。
『政府要請があった以上、自治体責任なる』の意味は憲法と同じくらい重い
その裏には、政府統制(中央行政府集権)にどの程度に従うのかの問題がある。

「丸投げ」批判があるが、「丸投げではない」とはどういう意味なのか、いまいちよくわからない。これが「もう少し調整期間を置け」ならわかりやすいが、これは情勢に依存するのではないだろうか。つまり、災害は待ってくれないとしか、直接には思いようがなく、一方で現場の大変さは共感できるので、関係者の感情の爆発を責める気にもなれないが、それに便乗する人たちには、もう少し冷静になれないだろうかと思わないではない。
ただ、これがもっぱら「責任」というその主観要素の問題として考えられやすいのが、昨今の傾向だろうか。

例えば、台湾の評判が高まっているが、
まず彼らは以前大きな被害を出したことの反省を共有していることが重要である。
(日本の場合だと阪神大震災後に各レベルで災害対応が改善された状況と比較できる)
そのうえで、民間の在庫把握は、即ち、税情報になるのであるが、消費税徴収におけるインボイス制度の信頼はどうなのだろう。日本の業者はもちろん協力的であるだろうが、どの程度協力的だろう?
また、情報或いは情報機器の取り扱いに関する意志の欠缺について裁判例が相次いでいる社会状況において、どの程度「情報統制」ができるのか。
技術的には日本の技術者にもできるであろうが、社会統制に対してこれほどアレルギーの強い国民性を持った国もないのであるから、どうなのだろうと思わないではない。
まぁ、台湾にしたところで似たようなもので、だから悲劇の共有と社会アイコンが必要だったのであろう。


下のような極めて幼稚な「首相批判」が行われている状況下です。
間違いではないのですが せめて行政関係者は『安倍首相』とはいわずに『政府』と言いませんかーいや、それが無理なのはわかっていますが。


 おそらく今回の「要請行政」は専門家会議の提言を受けた政府内部の情勢判断(国内の事情と海外の事情を織り込んでーどうも煽られている感もありますが。)の結果ですが、行政的には、むしろ硬直的な行政行為に或る種の解除を与える効果が期待されるでしょうーつまり、(突飛に聞こえるかもしれませんが)「ヘイト法制」が実質的には条例の『その他の理由』の権原(法源)になることが期待されたように。かくのごとく『その他の理由』※付けを為す 「要請行政」(要請を受けて行う行政行為)の主体は自治体であってその責任能力が問われることになるのです。
※c.f.裁量行為/羈束行為  。今回の場合は、学校保健安全法第20条(並び各学校管理規則)に硬直的にでなくどのような影響を与えるか。
そこは総合的に判断すればよく、(とかく硬直になりがちな現場に)柔軟な対応を求めることになります。もちろんその負担は(ランニングコストに通常対置される)イニシャルコスト以上に大きなもので、普段の『引当』がどれほど積まれているか、組織の潜在的能力の涵養が普段から為されていたかに依存するでしょう。
むしろ社会の余裕”感”がなくなっていることの方が気にかかります(本当に社会資本の蓄積や家計資産は毀損が進んでいるでしょうか。それとも「体感治安」並みの話しでしょうか。超高齢社会になって社会の体力が落ちてきているでしょうが)。
もちろん「卒業式」や「入学式」は大切なイベントですが、別に「成人式」と最早いっしょにしてしまって廃止してもぜんぜんおかしくはありません。しかしむしろますます求められる様になっています※ー自分たちの子どものころにここまで「不可欠」と考えられていたでしょうか?学校による囲い込みが進んでいるのでしょうか。
※この手の式典は日本独自の歴史を持っているようで、「学校」と「兵営」は、ムラの外部にあってムラ内部の規範から離れてときに対立しつつも(明治の最初期の学校からすでに)中心に位置づけられることがムラムラから求められて、ある種の鎮守的な精神性を担わされてきました。そこでは「承認」(成人儀式)がその重要な役割であり、それは形式的な意味以上の意味がない式典に現われますーしたがって、合理的に考えるなら、これほど無意味なことはありませんし、しばしばその「(公式)人格」は人権と対立しますが、この学校の持つ特徴は(印鑑登録と並んでー鎮守的であると同時に印鑑登録的であり)ムラの人たちの方から期待されたことで、日本人の公共性はどのように発揮されるかの反映のようですー権威的であり形式的であり、装束的(ペルソナ的)であり仮託的であり、物語的であり表示(明証)的であり、承認的であり登録的です。