イスラエルの論文ってあてにならないんじゃなかったでしたっけ。
「小池劇場」(新東京国立競技場建設問題、および築地移転問題或いはそれ以前からの環境政策の伸長)以来、むしろ専門家のバイアスによる弊害が大きいからなぁ。

今回のコロナ禍もそうだが、所謂リベラルと専門的知識はフォーカスを当てることで協調性を生みやすく、その際の社会的弊害が甚大であることを、そろそろこのような「ソビエト(合議体)の悪」を真剣に考えるべきだ。

一方で、スタップ細胞事件以来、インターネットの普及による情報格差の緩和を背景に、素人が試みる(本来拠るべき体系的な統合ではない)粉飾された、しかし極めて詳細な知識の結合による擁護が見られるようになったことにも、注意を払うべきだ。

大学教育の再考が求められる。
「頭が良い」を求められるのはせいぜい中学生の(ほとんど遊びのような)内容までであって、それ以降は、専門知識の理解力であり、それには系統だった訓練が伴なわれなければならない。それを軽んじる風潮に危惧を感じる。