政治学を云々したこところでたぶん甲斐がないので。
ムーブメントを付けてみる。
パンクムーブメント、フラワームーブメント、ポストモダンムーブメント。
そうすると何かすっきりする。

フロイトにしたところで社会運動に過ぎないと思うが、ならばその「社会性」に着目すると、社会進化論の説明の一端を担う、つまり所謂ミクロからの基礎付けになるだろうと思う次第である。
モダン社会は、(いつも言うが)ポストキリスト教社会であって、神に変わって社会自身が善を為すという思潮を基礎に構想されるが、ポストキリスト教社会と言っても、ポスト云々である宿命、乃至限界として、キリスト教社会の残滓がいたるところで見られ、キリスト教加藤陽子的な意味合いで『それでも』まだ影響力を持ち続けて、それから言葉が『選ばれて』いるのであるが、ポストモダン社会は、ライシテが反対的にキリスト教社会の影響を残し続けるように(したがって、私が言う「モダン」である続ける)ヨーロッパ社会のおいて成し遂げられると考えるよりも、むしろアメリカにおける新しい社会観の流行と見たほうがよいように思う。

私自身は、『正義論』に始まる(正義と)善の再配置の(ロールズからフットを経由する、或いは噴出したロールズ批判の)学問上の潮流に(ヨーロッパで主として議論された「モダン」と区別される)「ポストモダン」を見るのであるが、それもムーブメントに過ぎない。そういった意味では「キッチュ」に近いかもしれない。