ピーターラビットのトリレンマ

 

 

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とにかく、ほら吹き男爵の、底なし沼から自ら引っ張り上げるナンセンスが好きで、これとピーターラビットのハナシとの共通性を見つけたい。 

ショーペンハウアーは原因の連鎖を断ち切る自己原因を、溺れた馬を救うために水に飛び込み、自分の身体と馬とを自らの髪を摘んで引き上げたというミュンヒハウゼン男爵 (1720-97) の「ほら」に喩えている。


「根拠づけ論争」が意味するもの
越智 貢
哲学38号,1986,広島哲学会
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/26211/20141016153623211105/Tetsugaku-JHiroshimaPhiloSoc_38_192.pdf


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カール・ポパーの批判的合理主義をドイツで承継し、基礎付け主義はミュンヒハウゼンのトリレンマとして知られるアポリアに陥るとした。

ハンス・アルバート - Wikipedia

 形式化されていないので非常にわかりづらいが、

「スミスのポケットにも10枚の硬貨が入っていた」ことを知らないのであるから、スミスは、この命題について知識を持っているとはいえない。

ゲティア問題 - Wikipedia

スミス(在る自己、∃p)が外部化されているということだろうか。
したがって、「採用」に関するスミスの知識は内部で完成していない(背理)?

事案
●スミスとジョーンズは、ある会社の採用面接にきた。
●スミスは、「ジョーンズが採用され、かつ、硬貨が10枚ジョーンズのポケットに入っている」という事実を確認した。
●スミスは、この事実から「採用されるのは、硬貨が10枚ポケットに入っている者である」との命題を信じている。
スミスは知らないことであるが、実際に採用されるのはスミスであり、かつ、スミスのポケットにも10枚の硬貨が入っていた。

ゲティア問題 - Wikipedia

この文法に当てはまれば、とりあえず、ミュンヒハウゼンの「ほら」と同じと考えてよいと考えてみよう。知らんけれど。
これならできるのではないだろうか。