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松井秀喜という野球選手は、私たち同世代の英雄だったのだ。私がちょうど高校3年生のとき、彼は星稜高校から甲子園に出場し、例の連続敬遠という事件が起こった。ちょうど倫理の授業でこのテーマで議論する機会があり、松井可愛そう論、同情論が跋扈(ばっこ)する中、ロック少年の私は「敬遠はルールの範囲内だ」「高校野球にはこれ以上の闇が多数ある。そちらを問題にするべきだ」と発言し、先生を唸らせた。しかし、心の中では思い切り松井に同情していた。そして、すごい同世代がいると驚愕したものだった。
【働き方ラボ】東京五輪開会式はロスジェネ世代の「成人式」 渋谷系管理職を読み解くヒント (2/3ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト
この引っかかりを覚える、特異な文章は何を背負っているか。
なお、ここで「私」は常見さんのことである。
(以下)
松井秀喜という野球選手は、生まれた年が私と同じであり、私たち同世代の英雄だったのだ。
私がちょうど高校3年生のとき、彼は星稜高校から(彼自身の)3度目となる夏の甲子園に出場して、注目される舞台で、清原選手以来の話題の中心となるべき「怪物」としての本領を発揮することが期待されていた矢先に、例の物議を醸した連続敬遠という事件が起こったプレーがあった。
ちょうど折しも倫理の授業でこのテーマでを議論する機会があり、松井可愛そう論、同情論が跋扈(ばっこ)する生徒から溢れ、教室の空気を占める中、ロック少年の天邪鬼を気取っていた私は「敬遠はルールの範囲内だ」「高校野球にはこれ以上の闇が多数ある。そちらを問題にするべきだ」と発言して、先生を唸らせた驚かせ、しかしそれ自体は好感を持たれたように思う。
しかし実のところ、心の中では思い切り松井に同情していた。そして、すごい同世代がいると驚愕したものしきりだった。
(以上)
常見さんの文章が下手だと言いたいわけではない。彼は、博報堂をやめた後も常に第一線に居るメディアのプロで、いまでは学生たちを教える立場だ。何冊も新書を執筆し、巷の話題になるようなワーディングで読みやすい文章を書いて好評だ。
私の方は自分の文章が下手なことに悩んでいる。
さて、『先生を唸らせた』というのは、そのような彼のプランナーという立場を考えると、作為的に選択されたと考えられる。
「て」接続と呼ばれる文法があって(「標準的」かどうかは知らない。)
例えば、
(3)6時に起きて、ジョギングをしました。(「VてVます」参照)
「6時に起き、ジョギングをしました。」と比較されるとき、「て」接続された(3)では連続的な行為を表現し、そうでない表現では反対に単に並列的な事実の羅列を指示する。つまり、ジョギングは10時ごろに行ったかもしれないのだ。すなわち、この接続助詞は、前後の文の関連をそうでない場合に比べて強く示唆するのだ。
私は、この『唸らせた』がその文章の意義を支えていると思うのだが、修正を加えることで、結果としてそのアンチテーゼとなったと思う。だから述語に何を選ぶかに迷う。決定的だからだ。
また、キーワードは『世代』だろう。
戦後「民族語」は生まれただろうか。それでも、「世代語」というと大げさだが、世代感覚につきまとう語彙を通じて(説明される)モチベーションを共有したはずだ※。
常見さんは「左翼」を自称していたはずだから、そこに何があったのだろうというわけである。
※こういった口調は夏目の『坊ちゃん』が最初だろうか。『坊ちゃん』は語りの文学なのかー主語(の使用についてする比較)から見る『坊ちゃん』
『戦後』とは、私の肌感覚では、まさに常見さんたちの世代までじゃないかと思う。
バブル崩壊後に大学進学を果たした就職氷河期世代(第一世代※)以降のひとたちである。すなわち、『戦後』とは「『戦後』の人たち」ではないかと思う。つまり、常見さんたちから、或いはその後から、「『戦後』のひとたち」ではなくなった、或いは、なくなってきたのではないかと思う。
「ゆとり(教育)世代」ということで言えば、実は、彼らは「(昭和の)ゆとり(教育が始まったとされる)世代(第一世代※)」
※就職氷河期第一世代にしても、ゆとり教育第一世代にしても、1971年生まれから入って来るのではないかと思うが、1974年生まれが「第一」なのか「第二」なのかよく知らない。
本当は、『法思想史』のマルクス主義法学の説明ではよくわからなかったので
の、『9⃣社会主義の衝撃2 科学的社会主義ーマルクスとエンゲルスー』で紹介されているマルクスの言葉から考えてゆこうと思ったのであるが、何か変なので、するりと入ってこなかった。彼は畳みかけるのが好きなのか、
それは人間と自然との,人間と人間との間の抗争の真の解決であり,現実的存在と本質との,対象化と自己確認との,自由と必然との,個と類との間の抗争との解決である
(上掲P269)
A |
B |
人間 | 自然 |
人間 | 人間 |
現実的存在 | 本質 |
対象化 | 自己確認 |
自由 | 必然 |
個 | 類 |
「人間と自然」の対立が「人間と人間」の対立に至るのを前段で説明しているので、それを受けて諸々の対立状況が観察されることを言っているらしい。よくわからないのであるが、特によくわからないのが、『対象化と自己確認』である。これはA群/B群のことなのか、
消えるは電気 電気は光る 光るはおやじのハゲ頭
なのか、なにしろ人格破綻者の相貌もあるマルクスなので(どちらもありえて)、よくわからないのだ。とりあえずは、「対象化と自己認識」なのか「自己認識と対象化」なのかよくわからない。
もともとこれは1844年の『経済学・哲学草稿』で、明治に改元されるのが1868年であるので、その24年間、すなわち、1世代前に書かれたものだ。ベルリン大学の創設が1809年で、オースチンが『ドイツ歴史法学派の業績やローマ法について研究するかたわら』法学教育を観察したして1826年に新設されたロンドン大学で(一般)法理学を講義して『ベンサム学派のひとたちを含めてかなりの聴講者を集めていたようであるが、次第にその数は少なくなり、1832年には遂に講義は中止された』憂き目にあっていた。しかし『科学』と『歴史』の時代の始まりであった。オースチンに関しては、「何が何でも『科学』」であって、重要なのは、彼が法実証主義を提唱したことだ。
一方、ベンサムについては『法思想史』でも十分な紙幅が割かれているが、『政治思想史』では本質的な指摘がされている。『科学的エリートの専制』である。これに受けて議論を展開するのが、思想上の大きな仕事となったのだった。
さらに推し進めたサン・シモンとこれに抗したコント(機械批判を行いそれを超える有機体を主張するが、一方でそれは、フッサール流の「生活世界」と呼べる実践の領域を志向して、『「社会有機体」のモデルは家族である』P244政治思想史8功利と自由の擁護)、「個性の尊重」を主張したドイツのフンボルトの弟子であるJ・S・ミルは「性格形成学」において『なによりもまず、環境と道徳的自由との相互作用の場である歴史に注目して、そこから蓋然的な経験法則を抽出し,それと人間本性との法則とを照合するという方法(逆演繹法)を採用』(PP250-251同)したりしていた。
ともあれ、マルクスは、ヘーゲルやフォイエルバッハからの影響がよくとりあげられるが、そればかりではなく、「科学」にしろ「生活」にしろ彼が拘るべき語彙群はすでに充足されており、彼は「サロン内で通じる会話」をしていたと考えて差し支えないのではなかろうか?
瀬島龍三は3つ挙げることを得意としていたようだが、「3つ」が形式的に必要とされる意味はない。彼の勝手である。しかし会話をするときに説得力を増すのだ。聴いているとそのリズムの心地よさに酩酊するのであった。
3人並べて比べる、という話法がある。👇は有名だ。
これに倣うなら「ヒトラー・チャーチル・マルクス」を挙げたい。
いよいよ戦争です。これまで平和のために努力を尽くしたのが、せめてもです。この努力は、道徳的価値があった。現代の戦争は、厳しく辛いのです。何百万もの人びとが、協力しあい、心を合わせるのでないと、とても乗り越えられません。道徳的な確信があればこそ、ねばり強さが生まれてくるのです
たった3段落で世界を変えたチャーチル、5600字かけても日本を動かせない安倍晋三 危機の時、政治家が発するべき言葉 (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
法学では、「解説論理」と「構成論理」が区別されにくいことはすでに言ってある。
(オースチンの「言い訳」をそのまま載せてはいけない。)
ならば、このチャーチルの演説は反対に、法学に言及しえないのか。
すでに、コント、J・S・ミルまで見てきているのである。