「世代語」の時代に生まれて

 

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 反対に、私の文章を自己批判してみると、(下手で読みにくいのはさておき)

 

1 「怪物」として本領を発揮することが期待されていた矢先に

2 「怪物」として本領を発揮することが期待されていた矢先に

 

「の」が中心に来ることがわかる。(「て」接続もまたそうだが)「の」を入れると入れないのとでは、後続の言葉の自由度が変わって来る。
「怪物」という半定義語と関わってくるのだ。
連続敬遠というプレーが、或いは、そのプレーが物議を醸すことが彼の「怪物」を説明するかどうかである。これは、順接/逆説を黙示する。

 

1  「怪物」として本領を発揮することが期待されていたので

2  「怪物」として本領を発揮することが期待されていた

あくまでこれはニュアンスを示唆する程度なので、弱い説明であって、特に1についてはどちらとも言える。ただ、1の場合、構成的であり、2の場合、説明的である。反対から言うと、2は「怪物」ということが別途すでに内容を持って、それを以て、説明するかどうかであった。要は、勝負されないほどすごいことをニュアンスに含みうる、、、、のか(それをあらかじめ含んで言ったのか)、すごい人と勝負しないことを言ったのか、の違いである。
そうすると、先ほどの述語も変わって来る。
ゆえに、「世代語」の構成を説明することとなる(常見さんの文章は、『世代』を主題として、同世代間での会話が企図されている)。
つまり、それが『戦後』のモチベーションだったという主張である。
したがって、「民族語」が企図されたが、(おそらず意図せずして、)同機能を持つ「世代語」に置き換えられたことの説明である。


だから実は、常見さんのあの文章は、小山田さんの文章への「返歌」乃至爆笑問題の太田さんへの「連歌」になっている。言葉が思い出せない。
「生活実感」を想起して共有される語彙群が、主体的に選択されて排除的で(自己規定的なジャーゴンであるが)、なお被支配的であるため(例えば、ある世代ごとの区切りは自己の選択に依らないため)、鼓舞される彩を持つことを言っている(要は、無頼ぶる)。だから、「大人になる」と対置される。
無頼(ぶらい)の意味 - goo国語辞書

そしてそれは多世代と直ちに共有できないか、さもなければ、ある世代とほとんど共有できない。心象にほとんど変わることがない場合でも、「無頼」の定義上、社会に依存するからで、社会状態の変転の影響を受ける。別の世代は別の世代なりの「世代語」を持つ。このときトランスレーションするだけだが、そのよすがは(自己言及的な)「トランスレーションできるはずだ」との信念である。
ところがそれがままならないことが小山田さん降板の際に起きた出来事であった。
小山田さんは1969年(1月、早)生まれ、常見さんは1974年(4月)生まれの6個下であるので、実は大分雰囲気は異なるが※、それでも「通じる」ところがあるのは、上の世代の文化を享受するところから生活を始めるからだ。「大人」の世界にそれほど変わりがないなら、リーチは伸びやすくなる(そのまま受け入れるかどうかは別にして)。ロックを聴こうと思ったら、好きなアーティストから初めて、好きなアーティストの好きなアーティストへ遡ってゆくさまに似ている。いつしか、あの影響だなと「わかる」ようになる。

さて、マルクス主義法学を眺める準備が整いつつあるようである。
マルクス主義法学は、商法乃至刑法のバトンを受けて輝いたが(戦後一時期席巻したらしい。)、「福祉国家の否定」といった迷走を見せるなどして限界を見せて、凋落したらしい。 


※例えば、校内暴力ひとつとっても、ある世代から生徒と教師の信頼関係の構築がままならなくなったことが言われる。
「わかってくれない」飢餓感から説明されてきた生徒像が(したがって、教師には場合によってはまだ「わかる」ことができたとされていた。)「わからない」それに置き換わっていった。それは生徒自身から熱血漢然とした大人、、、、、、の教師へ、卒業する際に(すなわち、学校とともに「不良」を「卒業」する先輩不良から)「先生、これからは気を付けた方がイイよ。下のやつらは俺たちとは違うから」と伝言されたという話型をもった。その先生は実は標準的なサラリーマン教師で、方法的に「熱血」を選択していたのだが(「熱血」のふりをしていた、もしくは、「熱血」と勘違いした生徒の心情に便乗していたが)、その仮面性が共有され、しかしそれに「気付かない」ふりをする二重性を持つとき(教師は生徒が、教師が熱血漢の振りをしているに過ぎないことに気づいていないことを、気づいていない振りをしていることを否定して、信じる振りを通したーが、実は、生徒が気づいていたことを知っていた。)、「卒業」が再帰的に定義されたのだった。
しかし、ある世代以降、それが通じないことが宣言されたのだった。
197〇年生まれとは「そういう説明のされ方をされる」世代でもあったのだ。 
より重要なのは、それが「わからない」という述語を持つ乃至「存在規定」を含むことであった。

しかし、この話型自体は、かなり年代的に幅を持つかもしれない。
むしろ、その説得力の広がり方かもしれない。「世代論」として説得力を持つか、そうでないか。そういった「世代語」の影響範囲ー共有範囲のことである。それが小さくなればなるほど、それは過去の「世代語」が生き残っただけであって、その世代を説明できる「世代語」ではなくなったのだろう。いわゆる「トライブ」の時代にあって、(「トライブ」が「世代語」に登録されることがあっても)その「世代語」が通用するのかどうか。