「読解力」の問題ー大人の問題か、子どもの問題か【追記】非対格動詞


 グーグルが量子コンピューターを使って最先端のスーパーコンピューターでも1万年かかる計算を数分で終えたとされる実験結果が、誤ってアップされたとみられる論文から明らかになりました。(WIRED)

この文章をどう直せばよいか。
先生方の対話(ツイワ:ツイッターでの会話)からは

【問題理解ーヒント】
〇主述が呼応していない(特に、『グーグルが』の述語が見当たらない)
〇複文構造である

【所感】
〇コンピュータに詳しくないからわかりにくい
〇生徒の小論文なみに混乱している

ということらしい。
要素分解して、『原仙』してみる。

『グーグル/が/量子コンピューター/を/使っ/て/最先端・の/スーパーコンピューター/で・も/1万年/かかる/計算/を/数分/で/終えた/と/される/実験結果/が/、誤っ/て/アップされた/と/みられる/論文/から/明らか/に/なりました。』

主文 死刑

というのは、冗談で、

主文 『実験結果 が 明らか に なりました。』

これに『原仙』(枝付け)をする。けれど、ここでは、やりにくい。

『実験結果(①) が 明らか に なりました(➁)。』

①- される
    ↳(グーグル が 終えた) と
            ↳(計算) を
             ↳(1万年 (が) かかる)
                                                                          ↳(スーパーコンピュータ)  で・も
                                                                    ↳(最先端) の
            ↳(使っ) て
             ↳(量子コンピュータ) を               
                                      ↳(数分) で

グーグル/が/量子コンピューター/を/使っ/て/最先端・の/スーパーコンピューター/で・も/1万年/かかる/計算/を/数分/で/終えた/

【①の感想】
先生方の間で問題とされていた「『グーグル』(主語)に対応する述語」であるが、文中では形式的に『終えた』が置かれている。
これは「ニュアンス」の問題だろうか。
先生方の理解では、反対に、『(計算を)終える』(述語)に対応するのは、本来「量子コンピュータ」であるはずのところ、それが明示されていない、ということであって、それを指摘したのだろうか。
この文中では、『グーグル』(というヒト;擬人、法人。具体的には、雇用されている、或いは契約している、研究者)が、"或る作業を"、『終えた』ことを述べている。
本文では、量子コンピュータに関する技術の進歩についての評価の仕方に異論があることを述べたうえで、両者を見比べて、今回発表された技術の意味を解説している。
※これがこの解説の肝(趣旨)で、従来のコンピュータ技術と比較したとき、それを「超越」している(それでは不可能な)のか、その「延長」(それでも可能)であるのか。「超越」と「延長」の対比
つまり、(本文を読むと)実は、キーワード(最重要語)が『最先端』であったことがわかる(本文は『最先端』の意味を巡る論考ーここで『最先端』は技術(の説明)文脈上どういうことなのか)。
スーパーコンピューターの『最先端』の先(延長)に量子コンピュータがあるのか、その先ではなく別のことと(超越,技術上のブレークスルーを)して量子コンピュータがあるのか。すなわち、量子コンピューターとはそもそも(コンピューターとして)どういうものなのか=どう評価されるべき計算能力を持つのかが今までよくわかっていなかったところ、この実験結果によって、(技術進歩の説明の文脈において)「わかった(説明できるようになった)」ということなのであった

➁ー(明らか) に
ー(論文) から
    ↳(みられる)
             ↳(アップされた) と
       ↳(誤っ) て

誤っ/て/アップされた/と/みられる/論文/から/

【➁の感想】
『から』は、原因や方法を示しているから、「によって」で言い換えられる。
このとき、『あきらか』に係るのか、『なる』に係るのか。
どちらが適当だろう。

 be clear with it

を見て、be with it かclear with itかのいずれであるかを考えた時に、英語では後者の方がより自然に感じるが日本語では前者で違和感がないように思え、(be clear)がある種の一般動詞的なこととして一体で考えたくなるが☛追記、「日本語読解」の研究からは、「間違い」と評価されるのではないだろうか。c.f.『城崎にて』の授業研究から(ある高校における実践)
したがって、並列表記とした。
なお、①においては、

①- される
    ↳(グーグル が 終えた) と

したが、

①- される
    ↳(終えた) と
             ↳(グーグル) が
    ↳~

になる。これは、この文章構造の分析においては、「主語構文(構造)」(或いは、その類型に位置づけられる、「主文構文(構造)」)を採用するか、「述語構文(構造)」を採用するかの選択の問題であるが、そこまではこれ以上踏み込まないこととする。「述語構文(構造)」の方が分析手順としてはすっきりするが、「日本語読解」で問題なのは(上述のヒントにもあるとおり)、主語と述語の対応だからである。

【全体の感想】
私たちが同じ文章を読んでも、「法文」を読んでいるのか、「技術文」をよんでいるのか、それ以外の言わば「平文」を読んでいるのか、そこの語彙と独自の文法或いはニュアンスの理解も必要になってくることがわかった。また、或る「分析」と「読解」が同じであるとは限らない(「読解」が、或る、別の「分析」である)こともわかった。※戦前は、「軍服」に対して、市販のスーツを、「平服」と呼んだ。
それを踏まえて新聞の見出しを読むと、実は自然であって、直す必要を感じず、不自然に感じたとすれば、先生方の理解不足であると思います。
具体的に述べますと、或る先生は技術に関する知識不足と勘違いしていましたが、法文に関する知識不足であると思います
※これは、一般的なリテラシー教育の問題であると同時に、いつも言うように「キャリア教育」の前提となる個人の尊厳の尊重を理解するうえで求められる法理解の欠如に結びつく問題で、憲法を読ませるとわかりますが、この欠如は広範に認められます。
政治が学問をゆがめる事例は科学史における悪夢と片付けられがちですが、それだけでは済まされない事実があります。
憲法は、「ふつうの日本語」で書かれているために通常の「日本語読解」があれば読める、そのようなしろものではありません。憲法はあくまで「(ふつうの)法文」であって、「法文」に関する語彙とその文法(或いは逆に、或る文法でまとまった語彙)を理解することが必須となります。例えば、憲法上の『日本国民』は"ときに"、今ここにいる、ひとりひとりの、具体的な「日本国民」を指すのではなく、理想的な、したがって、抽象的な、したがって、普遍的な「日本国民」を指します。それは、理性的な「日本国民」であって、憲法自体が「憲法を適切に『読める』」ことを求めています。
今回はそれがあきらかになってよかったと思います。
なぜなら、私たちの多様性を尊ぶ社会に於いては、感情に訴えて醸成される一体感にとどまることなく、正しい法文理解が求められるからです。

【追記】動詞の分類−非対格動詞
ごく「自然」に考えて、それで間違いではなかったらしい。中学生から高校生にかけての疑問が今更解けた。
thereが「副詞」ということは、学校の授業でちゃんと教わりました。
一方、(be+形容詞)を2語で「一般動詞」と考える方が「自然」ではないか、と質問をすると、一人は苦笑いし、一人はかたまってしまい、一人には首をひねって否定的に答えられました。不満でしたが、「一般動詞」ではなく『非対格動詞』だったのですね、なるほど。様子から察するに、先生はわかっていたのだろうと思います(一瞬、肯首しそうになったのをーもちろんそのアイデアすべてを肯定するのではなく、気付きや発想を認めて更なる理解を促すためにでしょう。つまり、理解が不十分だったということです。そのことを含めー、見逃しませんでした)。悩んでいたのは「そこまで教えてよいのかどうか」「それを教えるにはどこまで教えればよいのか」だっただろうと思います。


「と」と「に」はどう違う?|日本語・日本語教師|アルク