論理問題(2), 「分かる」を捨て「言える」を拾う

論理問題を論理的に説明できるか、2。
ー「わかる」と感得することよりも、「正しい」と納得できることが求められると思う。再帰的に内部化してゆく(無限を取り扱う、分別の認識が難しい)問題は、認知能力を超えるために、(サヴァンのような、特殊な能力の持ち主でなければ)「わかる」ことが難しくて当たり前だと思う。ここで求められるのは、手続きに従った「正しさ」への納得と手続きが「正しい」と感得することであると思う。
内容の全容はよく「わか」らない、しかし、形式的に妥当であることが「わか」り、帰結が真であることが納得できる。それが論理(数学)の理解ではないかと思う。一度「わかる」を捨て去り、形式的な確認の手続きを踏まなければならない。何が確認できれば「そうである」と"言える"ことに納得できるのかを考えなければならない。

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もう少しわかりやすくします。司会を置きます。 太郎と花子はそれぞれ司会に回答することとします。ゲームが続いたときに、結果として、双方の回答を知ります。つまり、ゲームが続くのは、双方が「No(沈黙)」と回答したときです。

さて、f(n)を、太郎に与えられたカードの数がnのときに、太郎が花子のカードの数を知るまでに太郎がNoと回答する回数とします。g(m)を、同様に、花子のNoと回答する回数とします。また、N(n,m)=f(n)+g(m)とします。

 N(2,1)=f(2)+g(1)=(1+0)=1
 N(1,2)=f(1)+g(2)=(0+1)=1

即ち、左右対称です(太郎と花子が入れ替わっても結果は同じです。2つあるキーポイントのうちの1つです)。したがって、これらをまとめて、N(2,1)=N(1,2)=N(1)と表記できることとします。続けます。

 N(3,2)=f(3)+g(2)=(1+1)+(1+0)=3,N(2)=2+N(1)=2+1=3
 N(4,3)=f(4)+g(3)=(1+1)+(1+1)+(1+0)=5,N(3)=2+N(2)=2+2+N(1)=5

即ち、前の項の数によって決まる、漸化式です(2あるキーポイントの内のもう1つです)。

直感的にわかるように、樹系図を描きます。
左の列が太郎の考える樹系図、右の列が花子の考える樹系図です。
交互に、自分の持っているカードの可能性のある数と相手の持っているカードの可能性のある数が枝分かれしてゆきます。

(太郎のカードの数,花子のカードの数):(2,1)のとき
       2     1                                           1      0(不可)
                                3                  2
太郎の1回目の回答:No   花子の1回目の回答:2  

(太郎のカードの数,花子のカードの数):(3,2)のとき
        3     2  1                                           2      1                                   
                                3                                                   3
                         4                                                   
太郎の1回目の回答:No            花子の1回目の回答:No
太郎の2回目の回答:No    花子の2回目の回答:3     

(太郎のカードの数,花子のカードの数):(4,3)のとき
               4    3    2    1                3    2    1
                                 3                                                   3 
                           4                                                   4 
                     5
太郎の1回目の回答:No             花子の1回目の回答:No
太郎の2回目の回答:No             花子の2回目の回答:No
太郎の3回目の回答:No             花子の3回目の回答:4

比較すると、(花子の樹系図から見て左上の)太郎の樹系図とその次の列の(太郎の樹系図から見て右下の)花子の樹系図が同じであることから、同じ回数だけ花子がNoと答えてさらにゲームが続いた場合、花子より太郎のカードの数が小さい可能性がなくなりますので、太郎のカードの数がわかります。
(このとき、太郎と花子は入れ替わっても同じですから、どちらがどうと言わずに、)逆に言うと、

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👆Rnは、n回目のRingで答えられる、カードの数のペア。ただし、R1は(1,2)のペアです。

1回目のRingで(1,2)のペアが成立しなければ消し、それを受けてなお、2回目のRingで(2,3)のペアが成立しなければ消し、それを受けてなお、と、樹系図の下から順にペアの可能性を消して行くと、自分のカードがnのとき、(n-1)回目のRingで相手がNoと回答したら、相手のカードは自分のカードよりも大きな数で、自分がn回目に相手のカードの数である(n+1)を回答することとなります。このとき、ペアは、(n,n+1)です。
このように、双方Noと回答してゲームが進んでゆけば、いずれ小さい数のカードを持っている方が相手の数を回答してこのゲームは終わります。

[研究]
・或る特殊解から考え始めて一般化する。
・一般解に、自己の特殊解を位置付ける。


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プログラミング的思考の学習とは、ともすれば頭の中で行っていたこと、或いは紙と鉛筆で行っていたことに、アクションを加えて、そういった感慨を得やすくしているってことなんだ。
それはまるで「ノイマン型コンピュータ」がノイマンの憐情により「ノイマンのように考えられない人たち」に「ノイマンがどのように考えているか」を示し「ノイマンと同じ才能がなくても、ノイマンの考えに到達できる」ショウウインドウとして考案されたように。
ノイマンは全くふざけたサヴァンだけれど(サヴァンが悪いのではない。ノイマンがそういう奴だ)、まぁ、仕方がない。
というわけで、プログラミング的思考の学習とは、「ノイマンがそこまで威張るならみんなでノイマンになって仕舞え」プロジェクトなんだな。実は。

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