ヒルベルトとノイマンの時代

1920年: 17歳のギムナジウム時代に、数学者フェケテと共同で最初の数学論文「ある種の最小多項式の零点と超越直径について」を書く。その論文は1922年にドイツ数学会雑誌に掲載される(『フォン・ノイマンの生涯』, p. 73)。

ジョン・フォン・ノイマン - Wikipedia

フォン・ノイマンの生涯 (朝日選書)

フォン・ノイマンの生涯 (朝日選書)

 

 

1895年、ゲッティンゲン大学教授に就任。19世紀末から20世紀初頭にかけての指導的な数学者となった。弟子の育成にも努め、マックス・デーン、エーリヒ・ヘッケ、ヘルマン・ワイル、ヴィルヘルム・アッカーマン、パウル・ベルナイスなど著名な数学者を輩出することになった。ヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン(のちのジョン・フォン・ノイマン)の論文を評価し、当時22歳であったノイマンゲッティンゲン大学に招いた。日本人では高木貞治がドイツ留学時代ヒルベルトの弟子であった。

ダフィット・ヒルベルト - Wikipedia


「考える」が感慨を述べるのでないならば、それはテクニックでしかないわけで、小学校の算数は、具体性を伴った一般性を述べているので、汎用的ではないというだけだろう。だから、偶然ではなく、「習わないとわからない」ことが起こるわけで、普遍性を獲得したければ、抽象的でなければならない※。しかし、それは小学生には「まだ早い」。
いや、本当のところ、数学なんて、大学以降にしか習わない。それまではその準備である。

その「大学数学」を小中高校のうちに習わせるべきなのか。
※一般的な性質の追求が下等なわけではない。エミー・ネーターによって抽象化された数学を考えるとき、エミー・ネーター以前の数学は何だったかを考えたり、エミー・ネーターが「抽象的過ぎる」と批判的だった岡潔の数学はなんだったかを考えるべきである。岡の定理や「リッチフロー」は一般化による解決方法だろう。

 
👇10歳の少年の研究と最も有能な数学者の一人による導き

数学の研究をはじめよう(V)オイラーをモデルに数論研究

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数学の研究をはじめよう(IV)完全数の新しい世界

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 もうこういう時代です。


本当に優秀な子供に必要なのは、「オリンピック」でも「鉄緑会」でもなく、研究であって、彼らの研究を支援する体制だろう。「オリンピック」はそれ自体独立した競技であり、競技者にとっては余技或いは趣味であって、イギリスのエリートがクリケットをたしなむような話である。彼らに共通の話題を提供するにとどまる。
これから必要なのは「オリンピック」ではなく、彼らの研究を評価する論文コンテストであり、彼らの研究を発表する「学術誌」であり、彼らに研究の途を保証する入試制度である。いままで「オリンピック」しかなかったのは、彼らを研究者から排除していたからである。一方、「オリンピック」は、「スポーツ」である。

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