ヘミングウェイにある「男らしさ」を文法から理解できるか

文法の、「選択されてすでにある」ことによる暴力性、「文脈」として理解が強要される暴力性、すなわち、社会主義の暴力性を無視することができない時代になったのだと思う。

 

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残念ながら、かなり問題のある理解力だろうと思う。
言うまでもないが、文学と「文学」は異なる。
つまり、抽象的な概念と実際に選ばれる際の「カテゴリー」が異なるということである。その区別すらできていないのに、「唯文法論」はいただけない。

先生、そういった試みはいくつもあったのです。例えば、実証主義を文学理論に溶け込ませることができないという宣言であると理解できると思います。
ならば別に立てましょう、という素直な理解が、「現代の国語」でしょう。
我々日本人は「文学」にある国語だけで、社会生活上の言葉をやりとりしているわけではないからです。それを「社会科」で理解することも範囲を限定しすぎです。それはやはり「国語」なのです。

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