(メモ3)

 

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前回ではまとまりきらなかったが、"考え方"をもう少し整理すると。 


(条件とは何か踏まえたうえで)

恒常条件にはこうして3つの様態があることがわかる。
動詞の「恒常相」に或る接続助詞がついて、

「恒常条件」とは複数回数のその動詞の様態ついて変わらぬ様を謂うとする。
仮に{X}の要素x群が量で表せる或る性質nを持っていて、二要素間の関係において×nと表せるとき、恒常的な性質を持っているとは、n×nであるならば、n=0/1/それ以外の3通り構成できる。すなわち、

「一般恒常条件」   n×n×~×n=nn
以下は、その特殊例である
「無価恒常条件」 0×0×~×0=0    結果として、効果がない
「1価恒常条件」 1×1×~×1=1    結果として、複数回数の効果がない

曰く、
続けて働こうが変わりがない(一般)
働こうが、働かないでおこうが変わらず何も得られない(追加的に無価)
続けて働こうが最初に得られたものと変わりがない(追加的に1価)

このとき、条件節は「恒常条件」を構成して、主節を説明するが、動詞の変化と接続詞ではこの3様態のうちのいずれであるか(内在的には)決定できない。だからと言って、例えば主節で決定されるとき、主節が「恒常条件」を構成するわけではない(あくまで条件節で構成する)。

ゆえに「仮定条件」「確定条件」「恒常条件」はねじれた対象関係にある
「仮定条件」と「確定条件」は1回の発生に関して(その1回はまだないが、もしえあれば/その1回はすでにあったので)、「確定条件」と「恒常条件」は1回性について(その1回があったので/その1回があるにせよ)、「仮定条件」と「恒常条件」は0回性について(その1回はまだないが、もしあれば/その1回があるにせよ、ないにせよ)、対称である。


 さて、こうして"考え方"を整理したら、実際に、そうなのか確認しなければならないが、できるだろうか。
「一旦緩急アレバ」は漢文調であるらしいので、漢文を紐解きたいが、わかるだろうか?
ここで、「一旦緩急アレバ」は、量化された「一旦」(∃)と「恒常相」と接続詞で構成されているので、特に、「一旦」はこのように量化されているのか。


もともと中一英語の現在進行形を考えていてこうなった。
「進行相」が近代精神によって培われたということで、言葉の背後にある思想、時代背景を考えることとなったのである。そうして(むしろ古英語に近い)日本語においても同様のことを見出したと言えるだろうか。
「国語」の思潮には「文法」と「常用」でそのようなものが垣間見られるが。
「論理国語」がなぜ、必要かと問われれば、「文法」の縦軸(経験的な構成)だけではなく「論理」の横軸もこのようにあった方がよいだろうと答える。
教育勅語」のごとき平易な日本語が共通に読み取られないことは、かなり奇妙で、その理解をもう少し純化する必要があるのではないだろうか。言葉が政治的にふるまうとしても、言葉を政治から救う必要がある。このとき「失われた日本語」にも同様に目配せする必要がある。論理とはそのような働きをもつものである。