複合語の役割

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中学生って難しいことやっているんだね。

大変やなぁ。

これは〈には〉だね。

蓮華寺れんげじでは 下宿を兼ねた。

島崎藤村『破戒』冒頭文

指示は指示でも、〈は〉は抽象性が高くて、〈で〉〈に〉具象性が高いように思う。

 

さて、戻る。

選んだ歌は正岡子規の「いちはつの 花咲いでて 我目には 今年ばかりの 春行かんとす」という歌です。

質問者の感想(選択した理由)。

花と自分の死をかけているような感じがしてとても心に残ったからですかね、、

回答者の教示した、歌の意味。

いちはつの花が美しく咲き出しているのが見えるが、私の目には人生最後の春が去ろうとしているように映ることだ。

〈には〉を挟んで「(咲き)出づ」と「行く」が対比され、それが ing アスペクト表現になっている。ing は終わりを予定した表現だ。
〈に〉は〈な〉の変化態で、〈中〉は〈間〉と対比され、区切りを意識して消極的な(引き算の)表現だ。名と実の違いで在ったり、無と如何の違いであったり。ただし、それは意味以前のニュアンスで、ここでは被修飾語への接合を意味して「私」の現存在性を説明している。それに〈は〉が加わると、「私」の無前提性(「私」が存在することに前提は要らない。それを「措定」と謂い、〈は〉で指示されている。)が強調される。すなわち、

 いちはつの 花咲いでて 我目にとって 今年ばかりの 春行かんとす

と意味合いが異なるだろう(もとより違和感があるが)。

植物の持つ、内から自ずと湧き上がってくる瑞々みずみずしさが花として表現されている一方で、美しさに関してはそのほんのひとときの儚さも併せ持つが、来年も花を付けるだろうし、或いは生命を燃やしきって実を付ける、たった今の華々しさを見せる。
迫りくる死を予感している私はどうだろう。

 

なるほど。
中学1年生ということで、まさに成長期を迎えて伸び盛りで、また新しい社会関係を築き、また新しい認識を得て世界が拓けてゆく頃だろうと思う。
一般的には「明るい」イメージを抱きやすい時期にあって、内心では、成長に次ぐ成長で気持ちが付いてゆけず悩みを抱きやすい時期。また、成長の突出によって、行動としてはとしては衝動的、意思としては感傷的になりやすい時期で、そういったところが、正岡子規、乃至正岡子規のこの歌に惹かれた理由かもしれない(大人からは、今が一番活き活きとするのに、なんで「死」なのか訝しく思われるかもしれないーと悩む時期)。
自分に引き寄せて、そういったことを言葉でうまく説明できると、好いのではないかと思う。