キャリアデザイン教育の範疇だねぇ。

「数学」が苦手な生徒は、大学以降の数学のイメージがそもそもついていないし、そもそも成長期に在って、社会に広く関心を持つことは自然で、健全であるから、そういった心理を否定しなくてもよいのだが、要は、文学部で教養としての「経済学」と資格指導としての簿記や税理士を充実させればよいと思う。

 

  分析をしたければ、経済学部
  実感したければ、文学部

  その前に、キャリアデザイン教育

 

こんなところじゃないかね。

あと、そんなに行きたいなら、まずオープンキャンパスに行きなさい。


そろそろ戦前の清算を終わらせるべきだろうね。

つまり、ロシアの侵略で始まった、ウクライナ・ロシア戦争を擁護する考えと共に。

(ポスト・キリスト教としての)前期近代主義(主体主義)と通底を為す19世紀オカルト主義の。

いい加減、前期近代主義と後期近代主義を分けるのは、19世紀科学革命であって、資本主義による工業化ではないくらい、近代史として当然に受け容れなければならないだろう。でないと、「戦後(価値の芯)」もわからない。日本は、「負けた」からこそ「反省」を口にしているだけであって。戦後社会の責任ある主体として口にしているわけではない。つまり、ロジックを欠いていおるのであって、この「反省」を形成しているのも実は、戦前のオカルト主義に過ぎない。

自分の興味範囲では、デカルトと簿記であって、「近世の科学観」である。前期近代主義派はこの「近世の科学観」と「初期近代の科学観」の相克で形成されている。

 

こういった人たちは、そういった意味で肥大化した「主体」たる自己を持て余して「困ったなぁ」「困ったなぁ」と断末魔の体なのであって(本当は「自分」の中にしか答えはない。)、社会的事実としては些末であるが(そもそも社会的には清算の済んだ、終わった事件で、こだわり気質と軽重の区別がつかない気質の問題に過ぎない。)、

www.tokyo-np.co.jp

この写真を好んで使うのは、もちろん北朝鮮への嫌味だろうけれど、まさにそれが喚起することである。

19世紀オカルト主義を整理する必要と社会意義があるんだよ。
もう彼らの心身を休ませなければならない。
病的なんだよって諭して。
それは貴方(個人)の問題としては「大事」だけれど、社会との区別を付けないとダメだよって。

今なら消費税のインボイスもそうか。
あれは共産党の縄張りだからね(苦笑)
本当に「縄張り」だよ(つまり、どういうタチの連中か、それだけでわかる―マルクス主義が科学ではなく暴力に根拠を置いていることがわかるかなぁ)。
だから分析なんて端から無視している。

だから、マルクス主義ではなく、ギリガン主義。
そこに必用なのは治癒(癒し)だろう。
これは前期近代主義と対峙しているから、「マルクス主義」という小さな話で済まず自己責任論も入ってくる。