藤澤利喜太郎と河合十太郎

どうも近世乃至近代の歴史を見ていると、加賀の役割も大きかったと思うが、いかんせん二流扱いが板についている。

長州ファイブと謂うが、加賀(石川)セブンだって居たのだ。

北條時敬(第 2 回1885年卒)、 河合十太郎(第 6 回1889年卒). 森外三郎(第 8 回、1891年卒)、松井喜三郎(第 9 回1892年卒)、三田村孝吉(第 12 回、1895年卒) 、吉田好九郎,渡辺庸(第 13 回1896年卒)

吉田 松陰だっていたが、関口開だっていたのだ。

三高時代、岡は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていた。この見えざる数学の本体に迫ることと、仏教的叡智や情緒の探求は岡にとって表裏一体であったと考えられる。

岡潔 - Wikipedia

ここで「仏教」に行ったから、西田幾多郎もいまいちだったんだよな。
仏教じゃなく、仏教が「(サンスクリットと)漢字で成立した学問」というところで考えれば、ドイツ人とも平仄があったのだけれど。どうも、禅の影響が無自覚にありすぎる(不立文字)。プロテスタントはむしろ、古文辞学の方が近い。

ちなみに、

企画展 | 金沢ふるさと偉人館

和算から西洋数学へ 
22万部の大ベストセラーとなった『新撰数学』 

『新選数学』とはこれ

国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果

当時のベストセラー

http://zip2000.server-shared.com/bestseler1.html

明治時代のベストセラー/名作 - 夏目漱石などが大活躍した時代 | 名言,電子書籍,雑誌情報「読書の力」 名言,雑誌,電子書籍情報

『学問のすゝめ』初版本 | 玉川大学教育博物館 館蔵資料(デジタルアーカイブ)

『学問のすゝめ』20万×17冊という計算。

 

本を数える時の助数詞で、「部」「冊」があります。・「部」は、書物・出版物などの... - Yahoo!知恵袋

だから、20万部と22万部を比べるのか、340万冊(部)と22万部を比べるのか。『新選数学』は何が22万部だったのだろう。

それでも、福沢や吉田に比べて、関口の評価が不当に低いように感じる。
福沢は義塾を創ったが、関口は日本の数学を創った(というと大げさだが、加賀の伝統は三高へ移って、岡潔くらいまではその影響を受けたと思う。岡潔の時代にドイツから抽象数学が生まれた)。

数学史 | Web日本評論

(第20回)河合十太郎の歩み—京都帝大の数学科の成立まで(一) | Web日本評論


これくらいのことは、地元の教科書に載せておいてよいと思うけれどね。
気持ちで負けとるやないか。