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学位請求論文要旨 『東洋拓殖会社-日本帝国主義とアジア太平洋-』(黒瀬郁二)
博士論文審査報告 黒瀬郁二『東洋拓殖会社-日本帝国主義とアジア・太平洋戦争-』
また、合弁事業への投資の面では、関東都督府(関東庁)、朝鮮総督府、南満洲鉄道と一 体になって、朝鮮人の満洲移民のための東亜勧業、軍部のための羊毛工場としての満蒙毛織、朝鮮・満洲間の鉄道連結としての天図鉄道、ハルビン電気事業の掌握をめざした北満電気、など合弁事業への活発な投資である。しかし、これらの東拓投資も総じて中国人の抵抗によって所期の成果を収めることはできなかった。すなわち、第一次大戦期に基本路線となった東拓の長期信用事業の満洲への進出は行き詰まり、経営危機として顕在化したのである。第一次大戦期に策定した軍部の北進論に呼応する、東拓による満洲の金融的従 属化の路線は、東拓の経営危機を招いたのである。このことはその後の東拓の活動舞台を南進論として、朝鮮から南洋・南米への南進論に転換させることにもなったし、満洲への 経済的進出の失敗は、その後軍部による軍事的進出にとって替えられることにもなった。
梅津と石原の問答はこれが背景となっている。
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石原の評価とも関係してくるが、石原はやはり「門外漢」或るい所詮は部外者たる「地方」の一軍閥に過ぎなかったのだ。
わかりやすい用語集 解説:資本市場(しほんしじょう) | 三井住友DSアセットマネジメント
銀行家のヘボンは「日本の存在に惹かれ」(上掲)、最初は国際法の講座を申し出る。
これをどう評価するか。アメリカはニューヨーク・ナショナル・シティーバンクが日本に進出していたし、一方で、メソジストたちが、看護教育を整備していた。
渋沢栄一が仲介するのだが、
日本は人口過剰の為め勢ひ其の出口を求むるに至り、終に之れを隣国に見出し申候、而してそれと同時に軍事的にも商業的にも防備を固めたるが、如此行動はアングロ・サキソン人種中に先例数多有之候、日本は又職業の増加と転換とを行うて自国を商工国となし、以て過剰なる人口問題の解決に力め居候、此点に関し日本は、目下の戦争より大なる利益を受け居るものにて、国家として大いに慶賀すべき次第に御座候
これがファクトである。
大蔵省は戦争に関与しなかったと思われがちだが、「信託」「拓殖」に関しては中心的な存在の一人である。
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植民政策を講義した永井柳太郎はこのような変化を好ましく思っていなかったようだ。
それはそうと、15大財閥に北陸三県出身者がそれぞれ入っていたんだな。
住友財閥の住友政友(福井県坂井市丸岡町出身)、安田財閥の安田善次郎(富山県富山市愛宕町)、浅野財閥の浅野総一郎(富山県氷見市薮田)、日窒コンツェルンの野口遵(石川県金沢市不明)
野口遵と北海道の関係がよくわからない。
政府公式の履歴書を見ても北海道が出てこない。
正力松太郎も富山の人だった。
昆布ロードがもたらした明治維新と食文化│54号 和船が運んだ文化:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター
薩摩藩は加賀藩から軍事技術支援も受けているし、どうも薩摩藩ありきの富山藩というのは、当時の世情を反映していない。そもそも加賀藩は硝石採取を200年続けた有数の軍事大国であって、技術も加賀藩の方が上だったんじゃないかと思うし、日本海にはサンゴの堆積があって、同様の南米の安い硝石に適わなかったけれど、潜在的にはやはり大きな力を持っていた。
ちなみに、田中耕一さんも富山の人で、野口遵と同じく、電気から化学へ向かったヒトでもある。
東洋拓殖会社が日本の教科書に載るようになれば、少し何かが変わる。
北陸の富山と九州の佐賀は何か不思議な感じだ。