横光利一の話がすごく面白い。「横光と入れ替わるように川端の前に現れたのが三島由紀夫で、これがまた年を追うにつれて横光の生まれ変わりのような右翼に凝り固まりになっていく。」こういう驚きの着眼点に小谷野敦の真骨頂感がありますな。 pic.twitter.com/WsxelmqjI2
— かみや (@yT0C0abg) September 28, 2022
読んでいないけれど、(小谷野さんと直接関係なくとも)横光利一が「モダニズムの旗手」というのは、相当程度怪しいと睨んでいる。そもそも文芸上の「モダニズム」の考え方が怪しい。
所詮ポンチ絵だが、ちょっとした整理のために、
横光利一がヘレナ・P・ブラヴァツキーに向かったかどうかは知らない。
そうではなく、もはや👇のような知識がなくては、なかなかわかりづらいものがあるんじゃないかと思う。少なくとも、「日本主義」「太陽主義」はわからないと思う。
『根津権現裏』(1922年・大正11年)と『こころ』(1914年・大正03年)の違い。
第一次世界大戦は、1914年(大正03年)~1918年(大正07年)
関東大震災は、1923年(大正12年)
尾崎門下には、三島霜川 - Wikipediaも居た。尾崎紅葉の影響力はどの程度のものだったのだろう。興味深い。
なぜ、「哲学」に拘るのかが、そもそも怪しい。「学」である以上、手続き論を踏まえなければおかしいからだ。「学」至上主義はどこから来るのか。
むしろ、「哲学している」と述語化される人で、ただし、この述語は、会話分析(態度決定)に関することだろうと思う。
なぜ哲学者は男性ばかり?という問いは、「哲学とは何かを誰が決めているのか?」という視点からも検討すべき。私は田中美津を哲学者だと思っているが、大学男性哲学教員はほとんど賛同しないだろう。だって自分らが習ってきた哲学者像とぜんぜん違うから。https://t.co/0cVlEHYBwX
— 森岡正博 (@Sukuitohananika) October 2, 2022
ヴィトゲンシュタインが「論理実証主義の祖」という見方が偏っている(らしい)。
そもそも、立論が怪しいのだ。
ヴィトゲンシュタインの陰に隠れたのが、クリスティーン・ラッド=フランクリンなのではないのか。まさに女性である。
橋本 康二 (Kouji Hashimoto) - マイポータル - researchmap
KAKEN — 研究課題をさがす | クリスティーン・ラッド=フランクリンの論理思想の研究 (KAKENHI-PROJECT-22K00001)
服部卓四郎は父方の祖母の遠縁の親戚なんですよね(祖母の旧姓は服部)。祖母は鶴岡の人で、藩主のお姫さまの遊び相手だったことと、服部卓四郎の縁者だという話が祖母から僕たちの代にまで口伝されておりました(父は軍人が大嫌いだったので、この人の話を口にしませんでしたが)。 https://t.co/TZfUGz4iWo
— 内田樹 (@levinassien) February 22, 2019
なるほどねぇ。
アメリカと組んで美味い思いをしようとした服部卓四郎の巧みな処世術を筆者の岩井秀一郎は戦後日本が辿った道と重なるという指摘は頷ける。辻正信は戦前的でありそのキャラは笑えるが服部のキャラは未だ笑えない。そこが今まで服部のキャラが注目されなかった理由かも。
— かみや (@yT0C0abg) October 2, 2022
「辻正信は戦前的でありそのキャラは笑える」
あ、本当。
辻はほとんど行者(修験者)だからね。
「頭が固い」というのは、まぁ、ただの悪口だろうと思う。
外国の将官に比べて、「頭の程度」がどうのこうのということは考えにくいけれど、日本の社会(つまり、人と人の関係)のありかたとして、「固い」ことを言わないと、というのは、そもそも、日本って、列島内に納まっているだけで、ばらばらだからね。
意外に見落としがちな点、特に東京からは、見落としがちな点だと思う。
東京から見ていると、口上(スローガン)と実態が区別つかないみたい。
日本の民主主義は、多チャンネルで、いかにコネクションを築き、利益を共有するかで成立してきたからね。「軍」は民主主義の点からも最前線だっただけで。
だから、内田樹たちが「軍人嫌い」というのは、大衆嫌いのことだよ。
学生運動が「日本を変えたかもしれない」と思うこと自体が笑い話だよ。
日本人成人が何人居ると思ってんだ。
それは「軍」という形式を正規にもたないと(つまり、「日本赤軍」と嘯くだけでは)不可能。
実際に、旧軍関係者は、戦後の選挙で一定の(主要ではないが)議席を得ている。
岸信介の最大のライバルは、普通に考えたら、(学生運動なんて不良学生の暴走ではなく—警察、機動隊で取り締まれば十分で、そうではなく)旧軍関係者。