それがあかんのじゃい

読んでいないけれど、(小谷野さんと直接関係なくとも)横光利一が「モダニズムの旗手」というのは、相当程度怪しいと睨んでいる。そもそも文芸上の「モダニズム」の考え方が怪しい。

所詮ポンチ絵だが、ちょっとした整理のために、

横光利一がヘレナ・P・ブラヴァツキーに向かったかどうかは知らない。
そうではなく、もはや👇のような知識がなくては、なかなかわかりづらいものがあるんじゃないかと思う。少なくとも、「日本主義」「太陽主義」はわからないと思う。

根津権現裏』(1922年・大正11年)と『こころ』(1914年・大正03年)の違い。
第一次世界大戦は、1914年(大正03年)~1918年(大正07年)
関東大震災は、1923年(大正12年

尾崎門下には、三島霜川 - Wikipediaも居た。尾崎紅葉の影響力はどの程度のものだったのだろう。興味深い。

なぜ、「哲学」に拘るのかが、そもそも怪しい。「学」である以上、手続き論を踏まえなければおかしいからだ。「学」至上主義はどこから来るのか。
むしろ、「哲学している」と述語化される人で、ただし、この述語は、会話分析(態度決定)に関することだろうと思う。

ヴィトゲンシュタインが「論理実証主義の祖」という見方が偏っている(らしい)。
そもそも、立論が怪しいのだ。
ヴィトゲンシュタインの陰に隠れたのが、クリスティーン・ラッド=フランクリンなのではないのか。まさに女性である。

researchmap.jp

橋本 康二 (Kouji Hashimoto) - マイポータル - researchmap

KAKEN — 研究課題をさがす | クリスティーン・ラッド=フランクリンの論理思想の研究 (KAKENHI-PROJECT-22K00001)


なるほどねぇ。

「辻正信は戦前的でありそのキャラは笑える」

あ、本当。
辻はほとんど行者(修験者)だからね。
「頭が固い」というのは、まぁ、ただの悪口だろうと思う。
外国の将官に比べて、「頭の程度」がどうのこうのということは考えにくいけれど、日本の社会(つまり、人と人の関係)のありかたとして、「固い」ことを言わないと、というのは、そもそも、日本って、列島内に納まっているだけで、ばらばらだからね。
意外に見落としがちな点、特に東京からは、見落としがちな点だと思う。
東京から見ていると、口上(スローガン)と実態が区別つかないみたい。

日本の民主主義は、多チャンネルで、いかにコネクションを築き、利益を共有するかで成立してきたからね。「軍」は民主主義の点からも最前線だっただけで。
だから、内田樹たちが「軍人嫌い」というのは、大衆嫌いのことだよ。
学生運動が「日本を変えたかもしれない」と思うこと自体が笑い話だよ。
日本人成人が何人居ると思ってんだ。
それは「軍」という形式を正規にもたないと(つまり、「日本赤軍」と嘯くだけでは)不可能。
実際に、旧軍関係者は、戦後の選挙で一定の(主要ではないが)議席を得ている。
岸信介の最大のライバルは、普通に考えたら、(学生運動なんて不良学生の暴走ではなく—警察、機動隊で取り締まれば十分で、そうではなく)旧軍関係者。