20世紀前半の哲学界隈に科学の風が吹いたのは事実だから、筆者の言わんとするところは解るけど、記述の精密さに落ち度があったよね
— 諸隈元シュタイン (@moroQma) September 30, 2022
でも敢えてヴィトゲンシュタインの名を出すなら、彼が女性哲学者を忌み嫌った話の方が記事のテーマ的には相応しかったのでは?
とも思いましたhttps://t.co/u0bQRSoH8q
やはり、クリスティーン・ラッド=フランクリンですよ。
橋本 康二 (Kouji Hashimoto) - 『論理哲学論考』の先駆者としてのクリスティーン・ラッド=フランクリン - 講演・口頭発表等 - researchmap
そのうえで、
KAKEN — 研究課題をさがす | クリスティーン・ラッド=フランクリンの論理思想の研究 (KAKENHI-PROJECT-22K00001)
「ソクラテス・メソッド」(アポリア)から可能性の論証を経て法実証主義とその議論をどう準備したか
精神と身体との間には、デカルトが明らかにしたように、何の相互作用も実際には存しないにも拘らず、神の予定調和によって、心身間の相互関係は、あたかも直接に対応し合っているかのように、成立する。
赤字強調は引用者。
さすが、ライプニッツである。
『しかし、ライプニッツの予定調和による心身問題の説明は神学的な想定による説明であり、それ以上の解明が不可能であり、少しも生産的な考察をもたらさない』と結論付けるが、これはデカルトの主張であって、デカルトが神学に立脚していることを明言している。デカルトは決して近代人ではなかったのだ。
しかし、このような「傾向性」を主張したのはルソーであったと思うが、ルソーの場合、自由意志ではなく一般意志として説明した。